正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

ほんものはつづく
つづけるとほんものになる

 私は、師範学校で学んでいるとき、寄宿舎が全焼し、丸焼けになりました。

教員になって二年目、宿直の晩、全国を荒らした放火魔に学校を焼かれてしまい、

大勢の皆さんに迷惑をかけるとともに、私自身、いのちの縮む思いをしました。

それゆえ火災には、人一倍、恐れを感じています。

 ところが、私が、校長を勤めさせてもらっている頃、宿直は教員の本務ではない、

という主張が高まり、遂に宿直が廃止され、学校が無人化されてしまいました。

予算がないというので、警備員もおいてもらえません。

 校長として、心配でなりません。

 さいわい、学校の近くに小さい家を借り、単身赴任で自炊生活をしておりましたので、

毎夜半、校舎の内外を巡視してから床に就くようにしていました。

 その巡視のとき、一つの出来事に心を留めるようになりました。子どもたちが、運動場

を清掃してくれるときに使う竹箒が、全部で五十本ばかりあったのですが、それを

収納する物置部屋がありました。竹箒が、乱暴に放り込まれて、いつも気にかかっている

部屋でした。ところが、それが、きちんと、実に行儀よく収納されるようになりました。

しかも、それが、ずっと、ずっと、何日も続くのです。五十本ばかりの竹箒が、

実に行儀よく、私の懐中電灯の光に照らされてくれるのです。

 そんな日が、百三十日ばかり続いたある日の朝会で、私は、大きな寒暖計をもって

朝礼台の上にあがりました。

「けさは、何度くらいだろうか?」

と、しばらく、寒暖計の話をし、寒い朝は、赤い棒がさがること、あたたかい日は、

赤い棒が伸びることなどを話し、話を、体温計の話に進めました。そして、

「近ごろ、わたしは、毎晩、体温計で測れないほど、胸の中が温かくなるんだが……」

というようなことから、竹箒部屋の話をしました。

「昨晩で、ちょうど、百三十日くらいになると思うんだが、あの竹箒の整頓、誰が

やっていてくれるんだろうか?一度や二度ではなく、百三十日も、毎日、続けて整頓

してくれている人が、この中に、いてくれると思うんだが、その人、手を挙げてく

れないか」

と、頼みました。

 不思議なことに、誰も手を挙げてくれないのです。竹箒が自分でそうするはずは

ありません。不思議でなりません。誰かがやってくれているはずです。仕方ありません。

私は、「誰か知らんがありがとう」

といって、壇をおりました。

 そして、職員室に帰ってから、担任の先生方に、「学級ごとに調べてみてください」

と、お願いしました。

 やっと、わかりました。四年のM君というのがやっているのだとわかったのです。

私が手を挙げてくださいと言ったとき、挙手しかけたのだそうですが、手を挙げると、

自分がやっていることがわかってしまいます。それで、手を挙げるのをやめたのだそうです。

 M君が、このことに挑戦する気になったのは、いつか、朝会のとき、私が「誰も見

ていないところで善いことのできる、そういう人間になりたい。小さい善いことでも

いいから、それをやり続ける人間になりたい。ほんものは続く。続けるとほんものに

なる」と言うような話をしたとき、M君の頭に、いつも乱暴に投げ込まれている竹箒

のことが、頭にひらめいたのだそうです。

 私は、その報告を受けて、子どもの心の一途さに感動してしまいました。

 竹箒部屋の整頓は、私が定年退職する日まで、五百何十日続きました。

中秋の名月

2022.09.10
今日は中秋の名月です。
   
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ
   
これは、親鸞聖人の師である法然聖人が詠まれたものです。
   
月の光は野山や里をくまなく平等に照らしていても、
その月を眺める人でなければ
その美しさは心に伝わりません。
   
そして
あらゆる者を漏らさず救うという阿弥陀さまのお心を示すと共に
私たちが南無阿弥陀仏のお念仏をいただくとはどういうことかを
お示しくださっています。
月の光が野山や里をくまなく照らすように、
阿弥陀さまの全ての人を救おうとされるお慈悲の光は、
常に私たちを平等に照らしてくださっています。
   
ところが
月を眺めた人にしか月を美しいと思う心が起こらないのと同じように、
阿弥陀さまのお慈悲の光の中にあっても、阿弥陀さまのお心を聞くことなくしては、
その有り難さが心に宿ることはありません。
  
 
月を見る度に思い出し、大切にしている言葉です。
 
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阿弥陀さまのお口もと
母のほほえみ

 暁烏敏(あけがらすはや)先生(※真宗大谷派の学僧一八七七~一九五四)のお歌に

「十億の人に十億の母あらむも我が母にまさる母ありなむや」というのがあります。

 世界には、たくさんのお母さんがあります。世界一美しいお母さん、世界一賢い

お母さん等々、立派なお母さんが、いっぱいいらっしゃいます。

 その中で、自分のお母さんは、美しさの点でも、賢さの点でも、立派とはいえない

かもしれません。しかし、「私」を愛し、「私」のしあわせを願うことにおいては、ど

んな立派なお母さんも及ぶものではありません。「私」に関する限り、世界でただ一人

の世界一のお母さんです。

 ですから、世界中のすべての人が見捨てても、お母さんだけはわが子を見捨てません。

お母さんは、仏さまのご名代ですから、どんな困った子でも、愚かな子でも、見

捨てることができないのです。

 福岡の少年院にお勤めの先生から、少年たちの歌をいただきました。その中に、

  ふるさとの  夢みんとして  枕べに

  母よりのふみ  積み上げてねる

というのがあります。世の中のみんなから困られ、嫌われて、ついに少年院のお世話

になっているこの少年でしょう。

 そのわが子のために、お母さんは「積み上げる」ほどたくさん、母心を手紙にして、

この少年に注いでおいでなのです。そのやるせない母心にであうと、この少年も、手

紙を粗末にすることはできません。大切な宝にしているのです。そして、それを枕元

に積み上げて、お母さんの心を憶念しながら眠るのです。

  われのみに  わかるつたなき  母の文字

  友寝たれば  しみじみと読む

というのがあります。自分にしか読めない下手なお母さんの字がはずかしいから、友

だちが寝てから読むのでしょうか。

 そんなことではありません。下手くそな文字いっぱいにあふれているお母さんの心

に、誰にも邪魔されずに対面したいのです。その心が「しみじみと読む」ということば

の中に、あふれているではありませんか。

  いれずみの  太き腕して  眠りいる

  友は母さんと  つぶやきにけり

というのがあります。この少年も、たくましい太い腕にいれずみなんかして、意地を

張り、悪者ぶって生きてきたのでしょう。お母さんを泣かせ、世間の人たちを困らせ

ながら生きてきたのでしょう。しかし、眠ってしまうと、意地も何も消えてしまいます。

すると、世の中のすべての人が見捨てても、見捨てることができないでいるお母さん

の顔が夢に浮かんでくださり、思わずお母さんを呼ぶ寝言になったのでしょう。

 このように見てきますと、子どもにとって無くてはならないお母さんというのは、

美貌であってくださることよりも、高い教養を身につけていてくださることよりも、

何よりも大切なことは、仏さまのお心を心として生きてくださるお母さんということ

になります。

 そして、そういうお母さんでないと、美しさも、教養も、子どものための光とはな

ってくださらないといえましょう。

こんなにおかげさまを
散らかしている私 すみません

 私の若い頃から、ずっと不断にお育てをいただいてきた森信三先生は、

ご飯をおあがりになるにも、ご飯とお副えものを一緒に口に入れては、

食物に申しわけないとおっしゃり、ご飯をよくよく味わい、それを食道に送ってから、

お副えものを口にされ、お副えもののいのちと味を、充分お味わいになってから、ご飯を

口になさると、承ってきました。いつか、お伺いしたとき、出石の名物の餅を持参したことが

ありましたが、「これほどの餅をつくるところが出石にありますか」と、おっしゃり、何気なく

口にしていたことが、はずかしくなったことがありました。

 毎日、食物をいただかない日なしに、七十七年も生きさせていただいてきた私ですが、

食べものたちに対しても、ずいぶん、申しわけない自分であることに気づかされます。

食べ物をつくった方々に対しても、ずいぶん、申しわけない「この身」であることに気づかされます。

   せめてわたしも......

 数えきれないほどのお米の一粒々々が

 一粒々々のかけがえのないいのちを ひっさげて

 いま この茶碗の中に わたしのために

 怠けているわたしの胃袋に 目を覚まさせるために山椒が

 山椒のいのちをひっさげて わたしのために

 梅干しもその横に わたしのために……

 白菜の漬物が 白菜のいのちをひっさげ

 万点の味をもって わたしのために……。

 もったいなさすぎる もったいなさすぎる

 こんなおかげさまを散らかしている私。すみません。

みんなみんな
仏さまのお恵み

 お医者さんの薬だけが薬だと思っていたら

 ちがった

 便所へ行くのにも どこへ行くのにも

 点滴台をひきずっていく

 一日中の点滴がやっと終り

 後の始末をしにきてくれたかわいい看護師さんが

 「ご苦労さまでした」

 といってくれた

 沈んでいる心に

 灯がともったようにうれしかった

 どんな高価な薬にも優った

 いのち全体を甦らせる薬だと思った

 そう気がついてみたら

 青い空も

 月も

 星も

 花も

 秋風も

 しごとも

 みんな みんな

 人間のいのちを養う

 仏さまお恵みの

 薬だったんだなと

 気がつかせてもらった

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