正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

「明日」は「明るい日」

 下関市には、よく手紙をくれる子どもがたくさんあります。私のよく存じ上げている

先生が、私のことを度々話してくださったためだと思われます。

 その中の一人、大北さんという女の子が、小学校を卒業する前、

「もうすぐ卒業だと思うと、名残りおしくなって、ゴミを見ると拾わずにおれなく

なりますし、ゆがんでいるものを見ると、まっすぐ整頓せずにおれなくなります。

しかし、卒業の向こうに、私には、中学生としての誕生が待っていてくれるので、

うかうかしておれない気持ちになります」

というような手紙をくれました。そこで、私も、

「私も、人生の卒業を目の前にしているので、あれもしておかなければ、これも

しておかなければと、忙しい毎日を過ごしています。しかし、私にも『永遠への誕生』

が待っていてくれるので、心を新しくしてがんばらなければなりません」

というような返事を書きました。すると、すぐに、返事の返事が届きました。

 「『人生の卒業』の向こうには、もう何もないと思っておりましたのに、『永遠の誕生』

があったなんて、よいことを教えていただきました。それで、『明日』という字は『明るい日』

と書くんですね」

と、ありました。

 であったこともない小学生から、すばらしいことを教えていただきました。

「今日」がある以上、必ず「明日」がある。「今日」が、どんなにつらい日であっても、

必ず「明日」がある。「今日」がどんなに悲しい日であっても、必ず「明日」がある。

「今日」があり「明日」があるなどということは、わかりきった、あたりまえのこと

だと思って、七十七年も、ぼんやり生きてきた私ですが、必ず、まちがいなく「明日」があり、

それを「明るい日」として与えられるということは、すばらしいことなんだなと、

目覚めさせてもらいました。こんなすばらしいことを、私は、卒業前の見知らぬ小学生から

教わったのです。

 私が恵んでもらった「忘れられないことば」が、どなたかのお役に立ったら、

しあわせだと思います。

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