正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

「あたりまえ」をみんな
なぜ喜ばないのでしょう

 隣の町のお寺の門前の掲示板に、

「目をあけて眠っている人の目を覚ますのは、なかなかむずかしい」

と書いてありました。

「目をあけて眠っている人」というのは私のことではないかと思うのといっしょに、

悪性腫瘍のため亡くなられた若き医師、井村和清先生が、飛鳥ちゃんというお子さん

と、まだ奥さまのお腹の中にいらっしゃるお子さんのために書き遺された『飛鳥へ、

そしてまだ見ぬ子へ』(祥伝社刊)というご本の中の「あたりまえ」という詩を思い

出しました。

  あたりまえ

あたりまえ

こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる

お母さんがいる

手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる

空気を胸いっぱいすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ

 なぜでしょう

 あたりまえ

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