正楽寺日誌 つれづれなるままに

降誕会

1枚目…2020.03.29撮影
2枚目…2020.05.11撮影
@川崎正楽寺

本日は宗祖親鸞聖人のお誕生をお祝いする降誕会(ごうたんえ)です
 
例年であれば
毎年勤められる築地本願寺の降誕会法要に出仕するのですが
本年は築地本願寺も内勤めとのこと
自分のお寺で過ごすこの日は何とも不思議な感じがします
 
親鸞聖人は
平安末期〜鎌倉時代の激動の時代を生き抜かれた方です
 
苦悩と混迷の世にあって
阿弥陀様とともに生きる人生の大切さを伝え、よろこばれました
 
私たちも
このように不安定な時代に突入した今だからこそ
心の拠り所となるみ教えとともに
日常生活に
生きた仏教

一人ひとりがしっかりと味合わせていただきたいものです

 

 

 

 

 

20200329-2

 

 

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永代経法要

拙寺では

毎年5月ゴールデンウィークに

それぞれのお寺で恒例行事である永代経法要をお勤めさせていただきます。

  

今年度は新型コロナウイルス感染拡大防止対策として

オンライン(インターネット)参拝とさせていただきました。

 

詳細を「行事報告」のページに掲載しておりますので

ぜひご覧ください

⇛行事報告のページはこちら

https://www.shorakuji.com/686

 

これからの新しい【お参りのカタチ】

参拝のカタチは変われどもお念仏のみ教えを
きかせていただくことは出来ます
 
そのことを踏まえて
寺院も時代に即した対応をしていかなくてはならないと
 
それが
これからの課題になるのだろうと
 
考えさせられています

ゆるしてもらって
生きていた私

この

醜いものが

大きなみ手の どまんなかに

生かされているということの事実に

目覚めさせていただこう

この私が

なお 現在ただいまも

祈られ

願われ

生かされ

おがまれ

赦されて ここにあるという事実に

目覚めさせていただこう

 

「老」いている いまも

み手のまんなか ということだ

いま み手のまんなかに 生かされているから

いつ壊れても

み手のまんなかなのだ

「老」も

み手のまんなかの「老」なのだ

「死」もまた

み手のまんなかの「死」なのだ

「死」のときの苦しみ「死にざま」は

私にも気にならないことはないが

それもみんな

「み手のまんなか」のことなのだ

「み手のまんなか」で苦しみ

「死にともない」とわめきながら

「み手のまんなか」で

この世の終わりを迎えさせていただき

「み手のまんなか」に帰らせていただくばかりなのだ

事実

「死にざまなど気にすることはないのだよ」

といってくださっているのだ

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