正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

和顔愛語(わげんあいご)

今日もひたむきに生きるあなたへ

 

不安を煽られることが多い今だからこそ

笑顔で過ごすことを意識してみてください。

 

マスクで口元が見えなかったり

人と話す機会が減ると

自然と笑顔になることも減り

口角も下がり気味になります。

 

口角が下がる状態が多くなると

気持ちも沈みがちに

自然と発する言葉もネガティブな言葉を選んでしまうかもしれません。

しかも見た目も老けて見えるとか。。

 

一方で口角を上げて笑顔でいることは

表情筋が刺激を受けて前向きな気持ちになり

発する言葉もポジティブな言葉を選ぶことが多くなるようです。

そしてエイジングケアにも繋がるので見た目も若々しく見えるそうです^^

 

仏教では

和顔愛語(わげんあいご)

という言葉があります。

 

周りの人に接する時は穏やかな表情で接し、優しい言葉をかける

つまり

笑顔で愛情のこもった言葉で話す

という、在り方のことを教えてくださっています。

 

その人の雰囲気

その場の空気感

それらは周囲にとても伝わりやすいものです。

 

世の中が不安や心配な空気感に満ちている今

それらに飲み込まれないように

笑顔や言葉に気を付けて

日々を大切に過ごしてみませんか?^^

きょうは今日という作品を
仕上げさせていただく日

 高等小学の時のことですから、今でいうと中学一年か二年ということになります。

この頃はみんな、何かに反抗してみたくなる年頃なのかもわかりません。それとも、

私はひどい貧乏の中で育ちましたので、子どもの頃からひねくれていたのかもしれま

せん。元日の日記に、

「みんな、めでたい、めでたいといっているが、何がめでたいのか、どこがめでた

いのか、山も川も、いつもとおなじではないか、何もかも、きのうのつづきではない

か。どこがめでたいのか」

そんなことを書いたのを思い出します。たまたま、父がそれを読んで、

「おまえ、おもしろいうことを考えるなあ」

といい、

「だって、ほんとのことだもん・・・」

といったことを思い出すのです。

 でも、皆さん、新しい年を迎えることが、なぜめでたいのでしょうか。どこがめで

たいのでしょうか。山も川も、何もかもいつもと同じではないですか。私自身を考え

てみても、ぬけてしまった頭髪や歯が、新年を迎えたことで新しく生えはじめてくれ

るということもありそうには思われません。もの忘れのひどくなった頭のはたらきが、

新年を迎えたためにシャンとしてくれたということもなさそうです。体だけではなく、

くらしのあり方だって、「元日や、またうかうかのはじめかな」ということになるこ

とは、ほぼ、まちがいなさそうです。

 私は、正月三が日だけではなく、年中、未明に起床します。起きると、冷たい水で

体中をこすります。健康のためと考えたことは一度もありません。体中にしみついて

しまっているような「うかうか」をこすりおとすためです。私の人生は、もうとっく

に日が暮れてしまって、最後の日が目前に迫ってきています。「うかうか」はゆるさ

れない時になってしまっているのです。だから、冷たい水で体中に目を覚まさせなが

ら、「今日という作品を、きょうは、精いっぱいの作品に仕上げさせていただく日」

と、私自身に、きびしく言い聞かせるのです。

明けまして
南無阿弥陀仏

 新しい年の始まり、皆さまいかがお迎えでしょうか。

「いつどこでどうなるか分からない生命」をいただいている私たちにとって、今年もこうして無事にご挨拶させていただけること、大変嬉しく思います。

 

昨年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、今なお予断を許さない状況です。

未曾有の事態に直面した私たちは、生活習慣や思考を一新せざるを得ない状況に身を置くこととなりました。

  

年末から年始にかけてよく耳にするのが「今年一年を一文字で表すと?」という質問です。

一年の締めくくり、もしくは新しい一年の抱負として聞かれることの多い質問ですが、自分なりに考えてみますと、昨年 一年を振り返っても、今年一年の抱負としても「挑」の一文字に尽きると思い至りました。

先程も述べました通り、新型コロナウイルスの影響で 昨年はこれまで「当たり前」だったことが通用せず、正楽寺にとっても、インターネット参拝等、お参りをはじめとする「お寺の在り方」は新しい形を模索する一年でした。

  

私事ですが、昨年の誕生日で四十歳の節目の年を迎えさせていただきました。

四十歳は孔子の『論語』では【不惑】と示されています。

この意味は【学問や道理をしっかりと学んだ上で、枠にとらわれずに自由に物事を見たり発想したりすること】だそうです。

コロナ禍に於いて、様々な在り方が一新される中で、不惑を迎えたことも一つのご縁なのでしょう。

今年も時代に即したお寺の在り方に挑みながら、皆さまにとって心の拠り所となるようなお寺で在れるように努力する所存です。

本年も皆さまとご一緒に「我が生命の在り方」について仏様のみ教えを聴かせていただくと同時に、感謝のお参りをさせていただければ幸甚です。

合掌                            

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