よいことばかりやってくるように
つらいこと
苦しいことはやってこないように
そんなことを願っても
それは 無理というもの
どんなことが やってきても
おかげさまでと
それによって
人生を 耕させてもらう道
人生を深め
豊穣にさせていただく道
それが
お念仏の道
悲しみや
さみしさで
人生を 深めさせてもらう
のっぺらぼうの
浅い人生では
申しわけないから
南無阿弥陀仏
「おはよう」の挨拶がすむと、私は「痛いだろうか?」と言いながら、いきなり朝礼台の上で私の腕を曲げてみせました。不意にそんなことをするものですから、大きい子どもたちは私の意図を読みかねて、あっけにとられている様子でした。ところが、一年生の子どもが「痛うないです」といってくれました。「じゃ、こっちむきに曲げたら?」といいながら、関節を逆に曲げようとしました。
「校長先生、そんなことしたら痛いです」
と言ってくれたのは、やはり一年生でした。
「そう、こんな方に曲げたら痛いね。骨がこわれてしまうね。でもね、きのうみんなが帰るのを見ていたらね、運動場で、こうもり傘をビューンと急にふり回すもんだからね。こうもり傘が朝顔みたいに上向きに開いてしまってね、こうもり傘の骨が痛 い痛い、痛いよって泣いているのに、その泣き声の聞こえない子がいたようだぞ。それからね、みんなが廊下を歩いているのをみるとね、上靴の踵のところを踏みつけている子がいてね、靴が、痛い、痛いと泣いているのが聞こえないのかなと思ったんだ。
もちろん、みんなの中には、こうもり傘や靴をいじめないばかりか、持ちものをかわいがってやっている人もたくさんいるんだが、明日は、自分の大事に大事にしている物がある人は、それを持ってきて見せてくれないかね」
と頼みました。
そういう次第で、あくる日は、はからずも「愛物展覧会」ができてしまいました。
おじいちゃんの硯をお父さんが使い、それをぼくがもらって使っているという硯。
お母さんの下敷きをお姉さんが使い、破れたところにセロテープをはりつけてわたしが使っているという下敷き。お父さんの小学校のときの鉛筆削りをもらって使っているという鉛筆削り。鉛筆が短くなって使えなくなったら、「さよなら、ありがとう」とお礼をいい、箱の中に納めてから新しい鉛筆をおろすという子どものもってきた「さよなら、ありがとう」と書いた蓋をとってみると、綿をしいた上に、使えなくなった短い鉛筆が、きちんと並んでいました。
皆さん、東昇先生という先生のお名前、聞いたことありませんか。京都大学の名誉教授で、ーミリの百万分の一、こんな小さな世界を研究していらっしゃる先生です。
日本ではじめて電子顕微鏡をおつくりになった先生です。
この東先生がね、猫は生まれてすぐ人が育てても猫に育つ。犬は生まれてすぐ人が育てても犬に育つ。ところが、人間は人間の子に生まれたからといって、人間に育つとは決まっていない。今日の学者の定説では、約五千通りの可能性を持って生まれてくるとおっしゃっているんです。
東先生のそのお言葉を読ませていただきながら、思い出しましたのは、今から五十年あまり前、インドの山奥で、狼の住んでいるほら穴から、二人の人間の女の子が発見されました。狼が、赤ん坊をさらっていって、穴の中で育てていたんです。
小さな赤ん坊を育てて、ずいぶん長い間育てられたんでしょう。推定八つばかりになっていたんですが、人間の世界に連れ戻されて、一生懸命人間に育てる教育をやったんですが、とうとう二人とも、人間に戻りきることができないで亡くなってしまいました。真っ暗闇の中でも、目がらんらんと光って、何でも見える。何十メートル先にある餌が、鼻でわかる。
餌があるぞということがわかりますと、八つばかりになっていたその女の子も、二本の足で立つこともできないものですから、四つ足で、ものすごい勢いで、飛んでいっても、手を使うことができません。貪り喰う。夜中の一定の時刻になると、遠吠えをやる。人間に生まれても、狼が狼の暮らしの中で育てると人間の子も狼になる可能性さえ持っているんですね。
しかし、皆さんが今狼になってやろうと思っても、ちょっと無理でしょう。遅いでしょうね。狼になるためにはもう少し早くから狼になるような、狼の暮らしの中で育つ必要があるわけでしょう。
しかし皆さん、今も獣には簡単になれますよ。どういう獣になれるか。「なまけもの」という獣には今すぐにでもなれる。しかし、もう狼にはなれんでしょう。しかし死刑囚にはなれるんですよ。五千通りの可能性の中には、死刑囚になる可能性を皆さんたちはちゃんと持っている。私も持っているんです。誰もがその可能性を持っているんです。
東本願寺の前に法蔵館という本屋さんがあります。そこへ寄せてもらいました。薄っぺらい本でしたが、欲しい本が二冊ありましてね、二冊計算してみましたら、四百八十円。財布を調べてみましたら、五百円札がありました。本屋さんに、五百円札を渡したらね、二十円つりをくれたらいいのに、百円玉を二つくれるんです。それをもらいました拍子に、儲けたぞ、間違えたのだからいわなあかん、いわなあかんけどやるというもんは素直にもろうといてもいいやないか。
その途端、もう何という恥ずかしい私だろうかと、恥ずかしい私に気付かしてもらって、おつりをもらい直したんですが、私の中にも泥棒やる、泥棒になる可能性が、ちゃんとあるんです。
どうか皆さん、あまり大事なものはその辺に置かんようにしてください。もらって帰るかもしれません。 その五千通りの可能性の中からね、どんな自分を取り出していくか。皆さん一人ひとりがその責任者なんですよ。皆さんこんなたくさんいるように見えますけどね、自分は一人しかいない。
大阪のNHKから招かれて出向きました。国鉄大阪駅の地下を歩いてますとね、たくさんの人が、ぎっしり歩いている。その時に感じたんですが、同じ人は一人もいないんですね。皆さん一人ひとり違うんですね。こんなにたくさん人がいるのに、同じ人が一人もいない。
その時はっと気付いてみたら、私も世界でただ一人の私なのだということでした。その世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、皆さん一人ひとりなんです









