まだ学校給食が今のように普及していないころ、私は、子どもたちに
「自分の弁当くらい自分で詰めてこい」
と言っていました。お母さんの忙しさをよく知っていましたので、少しでもお母さんの手をとらせないようにさせたい配慮から、そう言わずにおれなかったのでした。
ところが、私は、これは私のまちがいではないかと思うようになりました。
それは、ときどき、お母さんに弁当を入れてもらってきた子どもの、弁当の蓋をあけるときの、何とも言えない楽しそうな顔、蓋の横から、何がはいっているかのぞき込むようにして、やおら蓋をあける様子、好きな卵焼きなんかがはいっていたときの、何ともいえない美しい顔の輝きなどを見ていると、お弁当の時というのは、お母さんとの出会いの時だと思うようになったからです。
そして、輝雄君が次の詩を見せてくれてからは、その思いが決定的になってしまいました。
*かつお(かつおぶし)
けさ 学校に来がけに
ちょっとしたことから母と言いあいをした
ぼくは
どうにでもなれと思って
母をぼろくそに言い負かしてやった
母が困っていた
そしたら 学校で 昼になって
母の入れてくれた弁当の蓋をあけたら
ぼくのすきなかつおぶしが
パラパラと ふってあった
おいしそうに におっていた
それを見たら ぼくは
けさのことが思い出されて 後悔した
母は いまごろ さびしい心で
昼ごはんたべているだろうかと思うと
すまない心が
ぐいぐいこみあげてきた。
というのです。「すまない心」というのは、人間の一番奥底に潜んでいる一番人間らしい心です。いのちの真清水とでもいうべき心です。そのすばらしいものが、とどめようとしてもとまらないようないきおいで、「ぐいぐい」こみあげてきているのです。
お母さんを「ぼろくそ」に言い負かして得意になって学校にやってくるような輝雄君のために、輝雄君の大好きな「かつおぶし」を「パラパラ」ふりかけてやらずにおれないお母さん、そのお母さんに、輝雄君は「お弁当」を通じて出会っているのです。
(注=東井先生のお寺は、すこし高台にあって、周辺に住む人たちがお寺の下に横穴を掘って、地下水を引こうとします。これに激しい怒りの心がこみあげた東井先生は、その家にどなり込もうとされます。しかし、お勤めの最中、阿弥陀様のお慈悲を味わわれて、思い留められます。以下が、そのときの東井先生の想いです)
如来様のお働きは、死んでから。そんな先の事ではなかったのです。現在ただ今も、私の為によりそって働きづめに働いて下さっておる。この光に導かれて、自分の恐しさに気がつかせてもらい、お勤めが終わりますと、下の家へおりていきました。下の家も、停電で皆んな寝ておりましたが、起きてもらいました。
「門徒の方に知らせてもらって、穴があいたという事を聞いてわしは腹が立って寝られなんだ。寝られんままに、法律の書物を引っぱり出して調べて」と、一切の始終を話し、仲よく生きさせていただく道を話し合いました。(中略)腹の立っている真最中に、私に寄りそって、働きづめに働いて下さるお働きがあって下さったんですね。
ご開山が、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」とおっしゃっておりますが、ご開山お一人のためということは、如来様のお慈悲は、私一人のため、皆さんお一人お一人に寄りそって、働いて下さっておるということですね。校長先生が大勢の子ども達に、誰とはなしに話をしているような、そんなことではなかったんですね。一人一人に寄りそって、悲しんでいる時には一緒に悲しみ、腹の立てている時には口惜しかろうが、このことに目をさましてくれよと、 一人一人に寄りそって、働きづめに働いて下さっているお働きとしていただく時、ただごとで無い。親鸞一人がためとおっしゃるのは、やっぱり私一人のための、私のお慈悲であったかと、いただかなかったら、どんな尊い法も、私の幸せになって下さらんという事ですね。
ご開山に、出会わさせていただきましょうね。
如来様のお慈悲に出会わせていただきましょうね。私のためのお慈悲と、出会わせていただきましょう。
(注=「無量寿」とは、はかり知れない (無量)「いのち」(寿)という意味です。 この無量の「いのち」をお持ちの仏さまが、阿弥陀如来です。 東井先生は、ある小学生の質問にこたえるため、夜半すぎまで調べものをされます。そのとき、ふと次のように気付かれたのでした)
「目」があって見ることができることも、「耳」があって聞くことができることも、「呼吸」や「心臓」が昼夜無休ではたらき続けていることも、「手」や「足」が、それぞれ自由にはたらいてくれることも、食べたものが「血」となり「肉」になり「骨」 になり、はたらきの「エネルギー」になってはたらいてくれることも、みんなみんな、ただごとでない、不思議きわまることであったのです。「生きている」とばかり思っていた私が「生かされている」のです。頭の上がらぬ思いでした。
いつも、バカにしながら読んでいた『正信偈』の「凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」(凡・聖・逆・謗、斉しく廻入すること、衆水の海に入って、一味なるが如し) という言葉が思い出されてきました。「凡(ほんとうのことは、何もわかっていない愚か者の私のこと)」、「聖 (唯物論のほんのひとかけらをかじって、無神論をふりまわしたりしていた思いあがった私のこと)」、「逆(生かされていながら、生かしてくれているものに尻を向けていた私のこと)」、「謗(生かしてくれているものに逆くばかりか、それを謗る罪を、あえて犯していた私のこと)」が、わけへだてなく、「斉しく」、ちょうど、どんな荒れ狂う川の水も、汚れた川の水も、摂めとっていく海のように、必ず摂取される世界があったのです。そして、その世界のどまん中に、私は生かされていたのです。逆いているときも、謗っているときも「み手のまんなか」であったのです。
「仏さま」は、「私」の「いのちの根源」に、はたらきつづけていてくださっていたのです。
雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみの日の
かけがえのない
大切な 人生がある
暑さの中で
涼しさの味をしらせてもらう
寒さの中で
あたたかさのよろこびをしらせてもらう
しあわせには
小さいのはない
大きいのばっかり
ちょっとみると小さく見えるのも
ほんとうは
私にはすぎた
大きいのばっかり





