私が「癌」にとりつかれたり、大切な息子が、突然、意識不明になってしまったりしたことを知られた、北海道の未知のご婦人から、ぶ厚い封書をいただきました。
「阿弥陀さまや親鸞さまを頼りにし、法華経に尻を向けているから、仏さまが『仏調』をお当てになったのです。
日蓮大聖人様も『念仏無間』とおっしゃっているではありませんか。
『念仏無間』のおことばそのままのことにであっておられるのです。
寺の住職としての体面もあるでしょうが、そんなものは、いさぎよく振りすてて、法華経と日蓮大聖人様に帰依しなさい。災難はたちどころに消滅します。
私が、自分の体験で申し上げているのです。まちがいはありません」
という趣旨の手紙でした。
遠く離れた、見たこともない他人のために、ぶ厚い手紙をくださったのは、ほんとうの親切心からのことであったと思います。
私は、そのことについて、心からのお礼を述べるとともに、
「私は、半世紀以上も、学校の教員を勤めてきましたが、勉強のできない、頭の悪い子を見捨てたり、教師のいうことを聞かないで、非行を重ねる子どもを罰で脅したり、退学させたり、告訴したりする教員にだけはなりたくないと考えてきました。勉強がわからなくて、学校へくる楽しみを失っている子どもには、つまずきの原因を確かめてそれを正し、わかるよろこびを育ててやるのが教員というものの仕事だと考えてきました。教師に皆き、非行を重ねている子どもには、その子がそうしなければならないわけを確かめ、ほんとうの生きがいに目覚めさせるのが、教員の仕事だと考えてきました。
私が、そのように考えざるを得なくなったのは、せっかく寺に生まれさせていただきながら、如来さまに進むき、如来様を誘る罪をさえも拠してきた私を、如来さまは、罰することもなさらず、憎むこともなさらず、見捨てることもなさらないばかりか、ひたすらに愛し、ひたすらに私の目覚めを待ち、ひたすらに生かし続けていてくださったのです気がついてみたら、背いている真最中も、誘っている真最中も、私は、阿弥陀さまのお慈悲のどまんなかにいたのです。
それ以後、私は、仏さまであろうが、学校の先生であろうが、家庭の親であろうが、「ル・聖・逆・講』を斉しくだきとってくださる方は『ほんもの』、見捨てたり、罰を与えるような方は、どんなに大評判の方であっても「にせもの』と考えるくせがついてしまいました。
「『法華経』の尊さも「日蓮様』のお偉さも、よく存じているつもりですので、そのすじの先生方とも、たいへんおこころやすくしていただいております。
私どもが、ただいま、たいへん、つらくきびしいことにであっているのは事実ですが、これは、『仏罰』などではなく、私どもが長い間、しらずしらずの間につくってきた
『因(タネ)』や『緑(条件)』によるもので、つつしんで、お受けするしかございません。それにつけましても『たとい罪業は深重なりとも、必ず救う』と呼んでくださる『阿弥陀さま』をいよいよ頼もしく、仰がせていただくばかりです。どうか、ご縁がございましたら、あなた様も、「凡・聖・逆・謗』を斉しく摂め取ってくださる『阿弥陀さま』のお呼び声に、耳を傾けてくださるようお願い申しあげます」
という意味の返事を差し上げたことでした。
さて、このご婦人だけでなく、世間には、ずいぶん多くの方が、仏さまの御意に従う者には「吉」事や「福」が与えられ、仏さまの御意に逆く者には「凶」事や「禍」が与えられると倍じておられるように思います。
もちろん「諸悪莫作(もろもろの悪をなすことなかれ)」「衆善奉行(衆善を奉行せよ)」「自浄其意(自らそのこころを浄うせよ)」は、是れ、もろもろの仏の教え給うところ(是諸仏教)であるわけです。
どのような悪人も必ず救うという誓いを立てて仏さまにおなりになった阿弥陀さまでも、「悪」がお好きであるはずはありません。
しかし、諸仏さま方から困られ、見放されつつも、なお「悪」をつくらずにおれない「人間」というものの憐れさを、どうしても、見過ごすことがおできにならないのが、「阿弥陀さま」という如来さまなのです。
新しい年を迎えました。
諸行無常(存在している全てのものは常に変化している)と聞かせていただいていることを考えますと、今年もこのようにご挨拶させていただけることは、決して当たり前のことではなく、有難く、嬉しいことです。
今年も正楽寺が、仏様のみ教えを聞き、お参りができる大切な場所として在り続けることのできるよう、努める所存です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は元日の能登半島地震にはじまり「大変な一年のはじまりだ」と多くの方が感じたられたことと思います。
その後も悲しいこと、嬉しいこと、転機となるようなこと等、世の中を見渡すだけでも、たくさんの出来事が起こりました。
新しい一年も何が起こるか分かりません。
ですが、それが私たちのいただいてきた生命です。
分からないからこそ、不変の真理をお聞かせくださる仏様の教えを拠り所として、一瞬一瞬を大切に日々を過ごしてまいりましょう。 合掌

私が、三月末で職を退くということを聞いたS地区のおとうさん方が「お別れが避けらないなら、ぜひ、ここの地区の子どもたちのために、先生のことばを書き遺しておいてやってください」と、大きな紙をもってこられました。
字を書くことの下手くそな私なのですが、遺言のつもりで、勇をして、私は、次のように書きました。
自分は自分の主人公
自分は、自分の主人公
世界でただ一人の自分を創っていく責任者
少々つらいことがあったからといって
ヤケなんかおこすまい
自分を自分でダメにするなんて
バカげたことってないからな
つらくたってがんばろう
つらさをのりこえる
強い自分を創っていこう
自分は自分を創る責任者なんだからな
しっかり者からはしっかり者の光
まじめな人からはまじめな人の光
正直者からは正直者の光
やんちゃ者からはやんちゃ者しか持たないやんちゃ者の光
男からは男の光
女からは女の光
おじいちゃんからはおじいちゃんの光
おばあちゃんからはおばあちゃんの光
おとうさんからはおとうさんの光
おかあさんからはおかあさんの光
若者からは若者しかもたない若者の光
未来をつくる子どもからは夢と希望の子どもの光
ひとりの喜びはみんなでわけて大きい喜びにして喜びあい
ひとりの悲しみはみんなでわけて小さくして背負いあい
いばったりいばられたり
いじめたりいじめられたりする関係を追っぱらい
みんな仲良く
ひとり残らず
存分に光を放ちあって生きられるような
光いっぱいの地区光いっぱいの町を
つくろうじゃないか
だって
自分の地区自分の町だもんな
自分はその主人公責任者なんだからな。
もう、三十年くらいも前のことではないかと思いますが、雑誌「文芸春秋」の随筆欄にある方が「愛情利息論」という文章をお書きになっていたのが、しきりに、思い出されるこの頃です。
夫が愛してくれないとか、友だちが冷たいとか、いろいろ泣きごとを聞くことが多いが、嘆いているばかりでは、ますますみじめになるばかりではないか。
汲み上げポンプの水がでないとき、水が出ないと嘆いていないで、呼び水を入れる、そして汲み上げの努力をすれば、入れた水も一緒になって戻ってくる。
愛情が欲しければ、こちらから、愛情の呼び水を入れ、汲み上げ、奉仕の努力をする。
水が噴き出るまで、その努力を続ける・・・・・・というような内容の文章だったと記憶しています。
年をとって、これを思い出すのは、老人の生き方の上にも、これは、大切なことを教えてくださっていると思うからです。
年をとるということは、さみしいことです。社会的役割りを失います。存在への関心も失っていきます。
視力を失い、聴力を失い、脚力を失い、体力を失います。
しかも、それが速度を加えていきます。
しかし、それがさびしいと嘆いておれば、ますます、孤独を深めるばかりです。
まわりに、愛情を注ぎましょう。注いでも注いでも、なくなるものではありません。
それが、心というものの不思議なところです。
ずいぶん、力は弱くなりましたが、まだ、できることがあります。
私自身考えてみても、声も充分出なくなりましたが、まだ、書くことはできます。
だから、手紙をもらえば、返事を書くことができます。手紙を投函に出かけることも、まだ、できます。
テクテク、郵便箱のあるところまで歩いていると、すいせんの蕾が見つかったり、梅の蕾が、見つかったりします。
木の葉のすべてを失いながら、じっと、厳冬を耐えている榎も、榎のことばで、語りかけてくれます。
雪の下から、南天の赤い実が、呼びかけてくれます。
若いときには、気のつかなかった、木々の声が聞こえてきます。
郵便屋さんが、手紙の返事の返事を届けてくれたりします。
孫が登校するのを見送りに出ていると、振り返っては、何べんも、手を振ってくれます。
心は、返ってくるものだと、思われてきます。
「老」もいいものだなとさえ、思われてきます。