正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

生かされて生きる
私のよろこび

未知の女子大生から手紙を貰ったことがあります。「友だちの意地悪に耐えられないので自殺を決意したのですが、偶然目に入ったテレビの中で先生の話を聞き、この方に相談してからにしようと思ってペンを執りました」という手紙でした。

 

私は、天地いっぱいにみちみちていてくださる大いなるものの願いに願われ、生かされて生きる私のよろこびの実感を、手紙に書き速達で送りました。

 

さいわい、自殺を思いとどまってくれたばかりか、こんなすばらしい世界に生かされながら、それを知らずにきた私がはずかしい。意地悪の友だちのおかげで、こんなすばらしい世界に目覚めさせていただくことができたのですから、今では、友だちを拝みたい気持ちです、と返事をくれました。

 

今の日本の「大いなるものの願い」に背を向けてしまっている学校教育の中で、この女子大生は「死」に追い込まれてしまうところだったのです。

悲しみを通さないと
見えてこない世界がある

これは、相田みつをという方の詩です。聞いてください。

 

なみだをこらえてかなしみにたえるとき
ぐちをいわずにくるしみにたえるとき
いいわけをしないでだまって
批判にたえるとき
怒りをおさえて屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろがふかくなり
いのちの根がふかくなる

 

悲しみ・苦しみ・怒り・屈辱にであったとき、私自身、この詩を口ずさんでいると、何だかほほえみが浮かんでくるのです。そういうことで、もうひとつ、私がよく口ずさんで、自分を励ます詩があります。野村康次郎という方の詩です。

 

雨は
ウンコの上にもおちなければなりません
イヤだといっても
ダメなのです
だれも
かわってくれないのです

というのです。この詩は、私を励ましてくれるだけでなく、ひとりの問題の子どもを生まれ変らせてくれた詩でもあります。

 

奈良県の小学校の先生が、私の書物の中でこの詩をご覧になり、好きになり、墨で大きく書いて額に入れて教室に掲げておられたのだそうです。
その組にN君という荒れた子がいました。荒れざるを得なかったのです。お父さんが、この子のお母さんとこのN君と、弟を追い出したのです。それでお母さんと三人で暮していたのですが、お母さんは交通事故で亡くなってしまわれ、弟は施設に預けられ、N君は病気のおじいさん、おばあさんのところに預けられました。おばあさんは、耳が聞こえず、口もきけない方だったそうですが心不全で入院されました。肺ガンで床に就いておられたおじいさんは、そのショックで亡くなってしまわれました。
それでN君は、追い出したお父さんの家に返され面白くない日を過ごすことになったのですが、そういう中で、ずいぶん荒れた子になってしまっていたのです。

 

それが、六年になって、担任してもらった先生が「ウンコ」の詩を教室に掲げておられたのです。はじめのうちは、これを見てもせせら笑ってバカにしていたそうですが、だんだん、担任の先生の人柄に心を惹かれるようになっていきました。そして、ある日の授業時間の途中、N君はハッとしたのです。「ウンコ」というのは、自分がいままで出あってきたあのイヤなことではないか。すると雨は自分ということになる。雨はウンコの上にでもまっすぐおちていっている。それだのにぼくは、次々にやってくるいやなことを憎み、やけをおこしていた。そうだ、これからは、いやなことから逃げ出そうとしたり、ブツブツいってやけをおこすのではなく、いやなこといっぱいやってこいと、こちらからぶつかっていってやろうと考えるようになったというのです。ところが、不思議なことに、あまり好きになれなかった算数までがおもしろくなってきたというのです。

 

受けとめ方によっては、イヤなことまで、光った存在に変わってくれるのです。ただ一度の人生を空しいものにしてしまわないために、心に刻んでおいてほしいのです。

辛抱してもらって
生きてきた私

闇が深まるほど星が輝きますように、より深い暗がりの旅をつき進む私たちを見かね、真如の世界にじっとしておれず、声になって飛び出してきて下さったのが南無阿弥陀仏さまなのです。だから「南無阿弥陀仏」は、天地一杯にみちみちて、働きづめに働いて下さっている尽十方無碍光如来さまの大悲のこりかたまりであり、不可思議光如来さまのおいのちのしぼり汁ともいえましょう。

 

私が他所へ出かけるとき、自転車で六キロばかり山を下るのですが、途中、地蔵峠という坂道にお地蔵さまが立っておられます。出がけには「ご挨拶を忘れぬように・・・」と自分に言い聞かせるのですが、坂道を風を切って下るのが気持ちいいものですから、たいていご挨拶を忘れてしまいます。ところが、自転車を押して坂道を上がる帰りのときは、いつもハッとします。お地蔵さまが私を拝んで下さっているのです。
私がご挨拶を忘れて坂を下るときにも、やはり拝んでいて下さったに違いないのです。
私が合掌するよりも先に、拝んで下さっているのです。

 

そのとき、いつも「五濁悪事悪世界 濁悪邪見の衆生には 弥陀の名号与えてぞ恒沙の諸仏すすめたる」の御和讃を思い出すのです。ガンジス河の砂の数ほど沢山の仏さまが、濁りに濁り汚れた今の時代に、濁悪邪見のお前が救われる道はお念仏以外にないぞ、目覚めてくれよと、掌を合わせて私に頼んで下さっていることに気付かせていただくのです。拝まない者も、拝まないときも、拝まれているという、大いなる願いに願われている私に気付かせていただくときに、大いなる生命と一つながりにつながらせていただけます。
(※「尽十方無碍光如来」とは、智慧の光で十方の世界を照らし、さわりなくことごとく生きとし生けるものをお救い下さる仏さま、「不可思議光如来」とは、人間の考えや思いをはるかにこえた智慧で、私たちをお救い下さるという仏さまという意味で、どちらも阿弥陀仏のお徳を表したもの)

「きばり心」を抜いたとたん
あんな快い 安らぎの世界に変わる

私が、若い頃読みふけった懐しい書物の中の一冊に、出隆先生の「哲学以前』、があります。
出隆先生は、哲学者であられるとともに、「神伝流」の水泳の達人でもあられたと聞いています。

 

その出隆先生が、何かに「水泳」のことをお書きになっていました。
「水は、人間を浮かせるだけの浮力をもっている。
しかるに、人間が溺れるというのは、心の重みで溺れるのである。
だから、溺れた人というのは、「こんな所で・・・・・・」と思われるほど、浅い所で溺れている。
結局、水の浮力に足をとられてあわててしまい、その心の重みで溺れたのである。
心を無にして、身も心も水に預ければ、自分の力を使わなくてもおのずから浮かぶ」
というような内容の文章でした。

 

出隆先生の、「心を無にして、身も心も水の浮力に預ければ、おのずから浮かぶ」というお言葉は、親鸞聖人が「如来の本願力に乗托すれば、おのずから然らしむる自然法爾の世界を恵まれる」とお教えくださっていることにも通じているように思います。
またそれは、私が子どもの日、あの熱くて熱くてたまらなかったお灸の熱さが、「きばり心」を抜いたとたん、あんな快い安らぎの世界に変わったことにも、つながっている気がするのです。

 

私は、初め、お灸の熱さに負けまいとする「きばり心」の重みで、熱さの底に沈み、熱さの苦しみに溺れていたのです。
それが「きばり心」を捨てたとたん、熱さが苦にならない世界に浮かせてもらったのです。
どなたのお作か存じませんが、「散るときが浮かぶときなり蓮の花」という句が思い出されます。
「自分が・・・・」という「我」が散ったとき、ポッカリ、安らぎの世界に浮かばせてもらうのです。
水に「浮力」があるように、私に注がれている「本願力」が、沈むしかない私を、浮かせてくださるのです。

 

散歩中、村の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と挨拶しましたら、「はい、飼料は高いし、牛の値は安いし、土曜・日曜どころか、盆も正月もありません。よい事は何もありません」と、嘆きの言葉が返ってきました。

 

そのことを思い出しながら、また別の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と申しましたら、「はい、おかげさんで、きょうも、牛どんに養うてもろとりますわい」という言葉が返ってきました。
その方が、後光を放っておられるようでした。
同じ牛飼いさんでも、生きておられる世界は同じではないと、教えられました。

今から始まる
新しい「きょう」一日

私は、今、長女が三歳の秋、お医者さまから
「お気の毒ですが、この病気は百人中九十九人は助からぬといわれているものです。もう今夜一晩よう請け合いません」
といわれた晩のことを思い出しております。

 

脈を握っていると脈がわからなくなってしまいます。
いよいよ別れのときかと思っていると、ピクピクッと動いてくれます。
やれやれと思う間もなく脈が消えていきます。
体中から血の引いていく思いで、幼い子どもの脈を握りしめていると、かすかに脈が戻ってくれるのです。
このようにして、夜半十二時をしらせる柱時計の音を聞いた感。
「ああ、とうとうきょう一日、親と子が共に生きさせていただくことができた。でも、今から始まる新しいきょうは?」
と思ったあの思い。
「ああ、きょうも親子で生きさせていただくことができた」
というよろこびを重ねて、とうとう新しい年を迎えさせていただくことができた日の感激。

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