正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

「自分のねうち」が見えると
「おかげさま」が見えてくる

 一番 大切なことは

 この 嫌われるのが当然の

 きたない 私が

 ほんとうは

 「孤独ではない」という事実に

 目覚めさせていただくこと

 手が 動いてくださる

 脚が まだ はたらいてくださる

 味が わからせていただける

 匂いが わからせていただける

 呼吸が はたらきつづけていてくださる

 心臓が 休むことなく

 はたらいてくださる

 通じがあってくださる

 小便が出てくださる

 この

 醜いものが

 大きなみ手の どまんなかに

 生かされているということの事実に

 目覚めさせていただこう

 

 老いて 見えにくくなってきたことは事実であっても

 聞こえにくくなってきたことは事実であっても

 まだ 見えたら 

 まだ 聞こえたら

 それは 充分

 よろこぶに値することではないか

 脚が 不自由になっても

 まだ はたらいてくれたら

 それも 大きなよろこびではないか

 おかげさまの見える目を いただこう

 おかげさまの聞こえる耳を いただこう

 おかげさまの世界を歩むことのできる

 脚を いただこう

 「おかげさま」の見える目をいただこう

 そうなれたら 

 この「老」さえも

 「『老』のおかげさまで」という世界が

 拓けてくださるのだ

よろこびのたねを
はぐくもう

 小学校の卒業式のことです。

式が、答辞の時間に移っていきました。司会のM子ちゃんが、「まず、校長先生に」

というと、一人の女の子が立ち上がりました。

 「冬の寒い朝でした。私たちが朝のお掃除をしていると、いつものように、校長先

生がまわってこられました。そして『お湯をもらってお掃除していてくれるんだろう

な』とおっしゃり、バケツに手を入れられました。すると、冷たいお水だったので、

びっくりなさり、『霜やけにならないようにしておくれ』と、わたしの手を、両方の

掌で包んで、暖めてくださいました。あのお心は、一生、忘れないでしょう」

と、言ってくれました。別の女の子が立ちました。

 「校長室のお掃除のときでした。わたしが床を拭いていると、校長先生も、ぞうき

んを持って、寄ってこられました。そして、話しかけてくださいました。『Aちゃん、

この床板、いま一度に三百六十五回力を入れて拭くのと、一年三百六十五日かかって、

三百六十五回、力を入れて拭くのと、どちらがきれいになると思うか』と、尋ねてく

ださいました。わたしは、ハッとしました。校長先生は、きっと、しんぼう強く続け

ることの大切さを、わたしに、教えてくださったのだと思います。校長先生、中学生

になっても、お掃除だけてなく、続けてがんばることをお約束します。ありがとうご

ざいました」

と言い、私の側へやってきて、胸に、赤い造花を飾ってくれました。私自身、そんな

ことなど、忘れてしまっていたのでしたが、

「しっかり、ねばり強く頼むよ」

と、声をかけずにおれませんでした。

 担任の先生方にも、次々に、感謝のことばを贈り、胸に花を飾ってくれました。養

護の竹田先生の胸に花を飾ったのは、M君でした。

「竹田先生、ぼくが、きょう、卒業できるのは、先生のおかげみたいなものです。

ぼくは三年の終わりまで、先生方から『行儀が悪い』『キョロキョロする』と、いつ

も注意されておりました。そしたら、竹田先生が『ひょっとすると、腹の中に悪い虫

がいるのかもしれない』といって、便の検査をしてくださいました。そしたら、ほん

とうに、悪い虫の卵がたくさん見つかり、先生がそれを、退治してくださいました。

それから、おちついて勉強ができるようになったのです。先生、ありがとうございま

した」

と、先生の胸に花を飾った姿も、忘れられません。

 用務員の井田さんの胸に、花を飾ったのはN君でした。

「一時間目の勉強が始まってからでした。先生の用事で、おばちゃんの部屋にいっ

たら、おばちゃん、朝ご飯を食べておられましたね。先生から聞いたら、おばちゃん

は、毎朝、夜が明けないうちに起き、お掃除をしたり、お湯を沸かしたり、私たちの

ために用意してくださるんですね。そして、おばちゃんが、ご飯を食べられるのは、

私たちの勉強が始まってからになるんですね。おばちゃんは、校長先生よりも忙しい

のですね。どうか、おばちゃん、体を大事にして、後に残るみんなのために、よろし

くお願いします」 

と、胸に花を飾ったときには、井田さんも、とうとうこらえ切れなくなって、ワッと

声をあげて、泣いてしまいました。

 司会のMちゃんが、しきりに時間を気にしている様子でしたが、

「皆さん、まだまだ、言いたいことがいっぱいだと思いますが、時間が来てしまい

ました。Hさん、ピアノをお願いします。小学生として、最後の校歌を、心をこめて

歌いましょう。在校生の皆さんも一緒にお願いします。先生方も一緒にお願いします」

と言われ、卒業していく女の子の伴奏で、司会の女の子の指揮で、校歌を歌いました

ときには、感慨無量でした。

生きるということは
長さの問題ではない

 「生きるということは

 長さの問題ではないのではないですか」

 と

 炎天の葉陰の

 沙羅双樹

 たった一日のいのちを

 いかにも 静かに

 咲いてみせてくれている

 清楚

 そのもののように。

 

 きのうは

 あんなに清楚に咲いていた

 沙羅双樹

 けさは

 地におちてしまっている

 

 わたしは

 きょうも 朝を迎えさせてもらった

 申しわけないような

 わたしのままで……。

 

 じゃがいもを掘る

 「見えないところに

 どれだけ『徳』を蓄えることができるか

 それが

 『生きる』

 ということではないですか」

 と

 

 しっかり生きたじゃがいもほど

 しっかりした薯をつくってくれている。

如来さまのお慈悲に
あわせていただきましょうね

  (注=東井先生のお寺は、すこし高台にあって、周辺に住む人たちがお寺の下に横

穴を掘って、地下水を引こうとします。これに激しい怒りの心がこみあげた東井先生

は、その家にどなり込もうとされます。しかし、お勤めの最中、阿弥陀様のお慈悲を

味わわれて、思い留められます。以下が、そのときの東井先生の想いです)

 如来様のお働きは、死んでから。そんな先の事ではなかったのです。現在ただ今も、

私の為によりそって働きづめに働いて下さっておる。この光に導かれて、自分の恐し

さに気がつかせてもらい、お勤めが終わりますと、下の家へおりていきました。下の

家も、停電で皆んな寝ておりましたが、起きてもらいました。

「門徒の方に知らせてもらって、穴があいたという事を聞いてわしは腹が立って腹

が立って寝られなんだ。寝られんままに、法律の書物を引っぱり出して調べて」と、

一切の始終を話し、仲よく生きさせていただく道を話し合いました。(中略)腹の立

っている真最中に、私に寄りそって、働きづめに働いて下さるお働きがあって下さった

んですね。

 ご開山が、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためな

りけり」とおっしゃっておりますが、ご開山お一人のためということは、如来様のお

慈悲は、私一人のため、皆さんお一人お一人に寄りそって、働いて下さっておるとい

うことですね。校長先生が大勢の子ども達に、誰とはなしに話をしているような、そ

んなことではなかったんですね。一人一人に寄りそって、悲しんでいる時には一緒に

悲しみ、腹の立てている時には口惜しかろうが、このことに目をさましてくれよと、

一人一人に寄りそって、働きづめに働いて下さっているお働きとしていただく時、た

だごとで無い。親鸞一人がためとおっしゃるのは、やっぱり私一人のための、私のお

慈悲であったかと、いただかなかったら、どんな尊い法も、私の幸せになって下さら

んという事ですね。

 ご開山に、出会わせていただきましょうね。

 如来様のお慈悲に出会わせていただきましょうね。私のためのお慈悲と、出会わせ

ていただきましょう。

思っているつもりでいたら
思われていた私

 秋晴れの空に柿の実が色づき、夕焼け色に輝きはじめると、毎年、思い出す子がお

ります。それは、芳子ちゃんという女の子です。

 芳子ちゃんの家には、大きな柿の木がありました。「善左衛門」という種類の甘柿

の木でした。「善左衛門」は、ずいぶん大きな木になる性質の柿で、屋根むねよりずっ

と高く伸びます。実の甘味が強いので、子どものおやつのなる木として、たいていど

の家にも植えてありました。

 でも「善左衛門」の一番おいしいのは、何といっても、屋根むねよりも高い木のてっ

ぺんの方で、しっかりお日さまの光を浴びた柿で、その味は格別でした。それらが夕

焼け色になるころになると、しっかり充実して、頭の方の皮が破れてひび割れます。

ひび割れたところをお日さまがしっかり照らされるので、ちょうど、黒糸を何重にも

巻きつけて鉢巻きをしているように見えるようになります。見事な鉢巻きをしている

ものほど、その味が抜群なのでした。

 芳子ちゃんの家の「善左衛門」も、てっぺんの方には、そういう鉢巻きをしたのが

いくつもありました。その中に、ひときわ大きく、ひときわ見事なのがありました。

色も見事、形も見事、鉢巻きもひときわ見事でした。

 芳子ちゃんは、毎日、学校から帰ると、はしごをさしかけて木に登り、柿をとって

おやつにしていました。でも、その一番見事なのは残してきました。あれが、おばあ

ちゃんの歯にあうようになったらおばあちゃんにあげよう、あれは「おばあちゃんの

柿」だと考えてきたのです。

 その「おばあちゃんの柿」が、いよいよ美しく輝きはじめました。もうあれだった

ら、おばあちゃんの歯にもあいます。

 学校から帰ってきた芳子ちゃんは、はしごを柿の木にさしかけました。先を割って

柿をはさみとれるようにした長い竹ざおを柿の木に立てかけました。そしてはしごを

登っていきました。

 一番上の段まで上ると、竹ざおを「おばあちゃんの柿」の方へ突き出しました。さ

おが届きません。もっと短いさおでも届くように見えたのに、届きません。はしごよ

りもうひとつ上の枝に上がりました。すこし木がゆれます。さおを突き出してみまし

た。日本晴の空がチカチカまぶしくて、どうもうまくいきません。何とか……と苦心

しているときでした。

 「芳子、おちんようにしておくれよ」

それは、芳子ちゃんの大好きなおばあちゃんの声でした。手を休めて下を見ると、は

るか下で、おばあちゃんが、心配そうに、芳子ちゃんを見上げていてくださっている

のでした。

 翌日、芳子ちゃんが私に見せてくれた日記には、その日のことがくわしく書いてあ

り「おばあちゃんのことを、一生けんめい思ってあげているつもりでいたら、いつの

間にか、おばあちゃんの方から思われてしまっていました」ということばで結ばれて

いました。

「思ってあげているつもりでいたら、いつの間にか、思われてしまっていた」ーこ

んなところに、私に日記で訴えずにおれないほどのよろこび、しあわせを感じとって

くれる芳子ちゃんの心の豊かさが、私の心をゆさぶるのでした。

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