正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

亀は亀のままでいい
兎にならなくていいのだよ

 (※師範学校の)二年生になったら、私よりものろいのが入部してくるだろうと、

それに大きな期待をかけて、毎日、ビリを走り続けました。でも、待望の二年生に

なっても、私よりものろいのは、一人も入部してきませんでした。三年生になったら…と、

粘り続けましたが、三年生になっても、ビリは、私の独占でした。

 ビリッコを走りながら、毎日、考えたことは「兎と亀」の話でした。あの話では、

亀は兎に勝ちました。けれども、兎が亀をバカにして、途中で一眠りしたりするも

のだから、たまたま、亀が勝ったにすぎません。いくら努力しても亀は、どこまで

いっても亀で、走力は、とても兎には及びません。ですから、あの話は、ねうちの

ある亀は、つまらない兎よりは、ねうちのうえでは上だ、という話ではないかと

考えました。亀は、いくら努力しても、絶対、兎にはなれない。しかし、日本一の亀

にはなれる。そして、日本一の亀は、つまらない兎よりも、ねうちが上だという話

ではないかと考えました。そして、私も「日本一のビリッコ」にはなれるのではな

いか、と考えるようになりました。

「よし、日本一のビリッコになってやろう」と、考えることで、少し勇気のよう

なものが湧いてくるのを感じました。

 そのうちに、また、気がつきました。「もし、ぼくがビリッコを独占しなかった

ら、部員の誰かが、このみじめな思いを味わわなければならない。他の部員が、こ

のみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、ぼくが、ビリッコを独占してい

るおかげだ」ということに気がついたのです。「ぼくも、みんなの役に立っている」

という発見は、私にとって、大きなよろこびとなりました。世の中が、にわかに、

パッと明るくなった気がしました。そして「教員になったら、ビリッコの子どもの

心の解ってやれる教員になろう。とび箱のとべない子、泳げない子、勉強の解らな

い子どもの悲しみを解ってやれる教員になろう。『できないのは、努力が足りない

からだ』などと、子どもを責める教員にはなるまい」と思わずにはおれなくなりました。

 こんな私だったのですから、今の時代のように、せっかく学校を卒業して教員免

許状を取得しても、都道府県の教員採用試験をパスしないと、教員にしてもらえな

い時代でしたら、私は、とても教員にはなれなかったでしょう。今も、私の件の採

用試験の中には、二十五メートルを泳ぐことができるかどうか、というのがあるそ

うですが、このこと一つだけでも、私は、はねられてしまいます。よい時代に生ま

れさせてもらったものです。おかげさまで、私は、小学・中学・大学と、五十五年

間も、教員を勤めさせていただくことができました。

 そして、私とおなじように、走ってもビリになってしまう子、泳げない子、勉強

の解らない子、生きる目あてを掴むことができないで、多くの先生方から困られ、

やけになって、グレようとしている子どもたちにも、生きるよろこびに、目ざめて

もらえるよう、念じ続けさせてもらうことができました。というよりは、そういう

子どもたちによって、私自身が、「生きる」ということを教えられ、「ほんとうの教

育」を教えてもらうことができた気がします。そして、私自身が、貧しく、愚かで、

不器用に生まれさせてもらったことを、しみじみと、しあわせであったと思わずに

はおれないのです。

 気がつかせてもらってみますと、川の流れにより添って、岸が、最後の最後まで

はたらき続けて、流れを海に届けているように、貧しく、愚かで、不器用な私によ

り添って、「兎と亀」の話を思い出させ、「亀は、亀のままでいいのだよ、兎になろ

うとしなくてもいいのだよ」と、気づかせてくださったり、不出来な教員にも、不

出来な教員の生きがいを目覚めさせてくださるおはたらきが、はたらきづめに、は

たらいていてくださった気がするのです。

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