正楽寺日誌 つれづれなるままに

生きているつもりでいたら
生かされていた私

 「目」があって、それが、どんな仕組みになっているのか、何でも見せてくださるのです。

「耳」があって、どういう仕組みになっているのか、何でも、聞かせてくださっているのです。

鼻に穴があいていて、呼吸がはたらきづめにはたらいてくださっているのです。

この呼吸がとまったら、忽ちのうちに死んでしまわなければならない呼吸です。

いのちにかかわる呼吸です。そのいのちにかかわる呼吸を、その主人公である私は、忘れっ放しなのです。

その忘れっ放しの私のために、夜も昼も、土曜も日曜も、盆も正月も、一瞬の休暇もとらず、

はたらきづめにはたらいていてくれるのです。

「口」があり、「口」には「歯」があり、「舌」があり、食べものを嚙みこなすはたらきをしていてくれるのです。

食べ物が「胃」に入り「腸」に進み、血にし、肉にし、骨にし、はたらきのエネルギーに変えていくのです。

胸の中では、「心臓」が、これも年中無休ではたらいてくれているのです。

「生きている」つもりでいたら、何もかも「生きさせてもらっていた」のです。

仏さまは、私の中で、私といっしょに、私のために、忘れっ放し、逆きっ放しの私のために、

生きてはたらいていてくださっていたのです。

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