正楽寺日誌 つれづれなるままに

働きづめに働いている心臓
ほら、いまも

2020年10月

 大いなるいのちへの目覚めのために、私に、大きな影響を与えた書物の中の一冊

に『療病求道録』という書物がありました。著者は山県正明という方でした。

 その頃は、「結核」が、今日の「癌」のように恐れられ、世話をする人たちに

感染するというので、嫌われていました。私の近親の者の中にも、若い命を結核に

奪われた者が幾人もありましたし、私がうらやましいと思っていたような健康な仲間

が、幾人も結核で死んでいきました。

 山県さんも、その結核だったのです。両肺全体に病巣が広がり、医師からも、家族

の方々からも見放され、山県さんご自身も、家族の方々への感染をおそれ、離れの

座敷で、一人絶望の底に沈んでおられたようです。

 どころが、ある朝のことでした。気がついてみると、被っておられる布団が、ピクッと、

ほんとにかすかに、ゆれているのです。心臓の鼓動で、ピクッ、ピクッと

ゆれていたのでした。

 山県さんは、ハッとされました。医師も見放している。家族の方々も見放しておられる。

そればかりではありません。山県さんご自身さえも見放しているその山県さんを、

なお見放すことができないで、夜も昼も、生かさずにはおかないぞと、

願いづめに願い、働きづめに働いている”はたらき”に目覚められたのです。

 とたんに、大きなよろこびと、安らぎと、生きる力が甦ってきました。そして、

生も死も、すべて、この大きな願い、働きに預ける以外にない自分に、目覚められ

たのです。

 ところで不思議なことにそれから、体中に活力が湧き起こり始め、山県さんは遂に、

再び働くことができるようになられたのです。

「このよろこびと、安らぎと、力を、何とか同じ病の中で苦しんでいる方々に届け

たい一心から、私は、この書物を書いた」と、お書きになっていたことが、今も、

私には忘れられないのです。

 心臓は、山県さんが気づかれる気づかれないにかかわらず、ずっとずっと前から、

働きづめに働いていたのです。山県さんも、大きなみ手のまんなかに生き、そして

病み、み手のまんなかで、絶望されていたのです。

 これから「救い」にあずかるのではないのです。既に「救いのみ手」のなかに

あった自分に目覚めさせていただくばかりなのです。

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