正楽寺日誌 つれづれなるままに

ゆるしてもらって
生きていた私

2020年5月

この

醜いものが

大きなみ手の どまんなかに

生かされているということの事実に

目覚めさせていただこう

この私が

なお 現在ただいまも

祈られ

願われ

生かされ

おがまれ

赦されて ここにあるという事実に

目覚めさせていただこう

 

「老」いている いまも

み手のまんなか ということだ

いま み手のまんなかに 生かされているから

いつ壊れても

み手のまんなかなのだ

「老」も

み手のまんなかの「老」なのだ

「死」もまた

み手のまんなかの「死」なのだ

「死」のときの苦しみ「死にざま」は

私にも気にならないことはないが

それもみんな

「み手のまんなか」のことなのだ

「み手のまんなか」で苦しみ

「死にともない」とわめきながら

「み手のまんなか」で

この世の終わりを迎えさせていただき

「み手のまんなか」に帰らせていただくばかりなのだ

事実

「死にざまなど気にすることはないのだよ」

といってくださっているのだ

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