正楽寺日誌 つれづれなるままに

「してあげる世界」から
「させていただく世界」へ

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 私が、ずっと以前から「お念仏の師」としてひそかに敬仰させていただいてきた先生に雑賀正晃先生があります。

その雑賀正晃先生のご著書に『光りを生きる』(百華苑)というのがあります。その中に、まことにありがたいお話がでてまいります。

 先生が、どこかのお寺のご法話におでかけになり、夜のご法話を終られて控室にお帰りになりましたのを、一人の奥さんがお訪ねになりました。

 その奥さんというのが、結婚して二年たたぬ中におじいさんが中風でたおれて全身不随、それからまたおばあさんがたおれて全身不随、

それからまた間もなくご主人がよその屋根から転落して下半身不随……(そのお家はお父さんは戦死、お母さんは再婚ということで四人暮らし)ということで、

結婚して五年もたたないのに三人のシモの世話までしなければならなくなられたのです。農家ですから田の仕事もあります。

 村の人が気の毒がって「あんたはこの家に病人の世話をしに来たようなものだ。さいわいまだ子どもさんがないんだから実家へ帰ら

せてもらいなさい。せっかくの女の一生を棒にふってしまう」

 といわれると、そうさせてもらいたい気もするのですが、だからといって三人の病人を見捨てて帰ることもできかね、毎日毎日心が

迷って定まりません。わたしはいったいどうしたらいいのでしょうかーという相談のためだったのです。

(※そのとき雑賀先生は、相談に訪れた奥さんに、「どちらでもなさい。ただし、ここではっきりしておかねばならないのは、この世は

あくまで因果の道理で動いているということです」と答え、さらに「その三人は病を患う“因”があり、その三人の面倒をみなければ

ならない“因”が奥さんにもあったということなのです」と。その話を聞いた奥さんは)

「先生、おはずかしいことでした。己れの播いた種が己れに生える。そうでした。これだけお聞かせいただいておきながら、

さてわが身に火の粉がふりかかってくると、その大事なことをすっかり忘れてしまって、何で私だけがこんなつらい目にあわ

なければならぬかと思ったりしまして……。先生、受けていきまいきます。どこまでも、私の業を果たさせていただきます」

「奥さん、ありがとう。よういうて下さった。私のような者でも、こんなに涙がこぼれるのに、如来さまや親鸞さまがどんなに

よろこんで下さるでしょう。さあ、夜もずいぶん更けたからお帰りなさい。ただ、最後にもう一つ申しておきたいことがあります。

重い重い業を背負って、泣きながら帰っていかれる奥さんですが、あなたがひとりで泣いているのではないのだということです。

その苦しみを代ってやれるものなら代ってやりたい。しかし、業報の世界はひとりひとりの世界なのです。

代わってやれるのなら、如来さまには苦もなければ大悲(大いなるいつくしみの心)もないのです。

代ってやることができないから泣かずにおれない。それが如来さまの大悲なのです。

あなたがひとりで泣いているのではない、いっしょに泣いていてくださる方があるのです。どんなにかつらいでしょう。

悲しいでしょう。でも、この大悲とともにがんばろうね」

ということで別れられたのです。先生の教えによって、この奥さんは、「してあげるのではなくて、させていただくのだ」

ということを了解されたのです。他人の荷物を背負ってあげるのではなく、己れの荷物を己れが背負わせていただくのだと受けとめられたのです。

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