人間は五千とおりの可能性をもって生まれてくるというのが、今日の学者の先生の定説だということです。
せっかく人間に生まれさせてもらいながら、狼にさらわれ、狼のくらしの中で狼に育てられたために、生き方のすべてが狼になってしまっていたという二人の女の子の実話を思い出します。
殺人鬼も、泥棒も、爆弾犯人も、問題少年も、みんな、誰かが、せっかくの人間の子どもを、そのような可能性の方向に突っ走らせてしまったのです。
お釈迦さまも、お若い頃、たくさんな可能性の中でお迷いにお悩みになりました。
けれども、遂に、この大宇宙の根源のところで、はたらきづめにはたらいている大きな願い(本願)に目覚められ、この願いに生きる以外に自分をほんとうの自分に育てる道はないことを自覚なさり、それを私たちに教えてくださったのです。
うっかりしていると見過ごしてしまうような小さいすみれにも、願いはかけられているのです。
「小さくてもいいのだよ、あんたしか咲かせることのできないあんたの花を、力いっぱい咲かせておくれよ」と。
花のいのちの短い桜にも「花のいのちの長い短いは問題じゃないんだ。力いっぱい咲くことこそが大事なんだ。力いっぱい咲いてさえくれれば、それでかわいいさくらんぼが誕生してくれるんだよ」と、そんな願いの声が聞こえてくるではありませんか。
冬の装い ~千両~
川崎正楽寺では
千両の実が色鮮やかに実っています
正月飾りとして知られる千両ですが
意外にも?11月頃から
つやつやとした赤い実をつけています
新型コロナウイルスの影響で
人の往来が少なかった頃には
拙寺のこの赤い実は鳥たちの
食料となっていたようで
年末になると葉のみとなっていました
今年は赤い実がきれいに残っています
鳥たちの食糧事情がうかがえる
そんな一幕です
竹の塚正楽寺 報恩講法要 勤修
11月の川崎正楽寺に続き
12月7日には竹の塚正楽寺にて
報恩講法要をお勤めいたしました
何度も法要をお迎えするということは
そのたびに大切なことに気づかされる
ご縁に出遇っているということであり
とても有難い時間の中に身を置いているのだと
改めて味あわせていただきました
間もなく年末
年があけると
京都の御本山である本願寺にて
御正忌報恩講がお勤まりになります

12月7日、川崎正楽寺に引き続き
竹の塚正楽寺でも報恩講法要をお迎えいたします
今週はその準備にかかりきりです
写真の布地は「打敷(うちしき)」といい
法要時にのみ掛ける装飾布です
報恩講は「ありがとうの集い」とも呼ばれます
いただいた一つひとつのご縁に感謝しながら
準備を進めさせていただきます

勤行に
疲れる
勤行の後
お花の水をかえるだけに
ハアハアいう
お役に立つことが
させてもらえなくなってしまった 私
毎晩 床に就くと
「せっかくいのちをいただきながら
申しわけありません」
「すみません」
「それだのに一日 ありがとうございました」
「南無阿弥陀仏」
そう申す以外ない
申しわけない
すまない
もったいない
近ごろの 私
食事さえも
わびながら いただく
申しわけない
すまない
もったいない
近ごろの私。