正楽寺日誌 つれづれなるままに

仏法というのは
心の味を育てる宗教

2024.5

 冬中しめ切っていた、寒くうす暗い納屋の中でしたのに、じゃがいもが、みんな芽

を出しているのには驚きました。春の慈光は、こんなところのいのちをも、お見逃が

しではなかったのです。「一切の群生は交照を蒙る」というおことばが思い出されま

した。光は、どんな失意の中に生きている人をも、お見逃がしなく注がれているのです。

 Mちゃんは、高校の先生方からも太鼓判を捺されていた大学入試を失敗してしまい

ました。お父さんに呼ばれ、お父さんの前に正座しましたが、顔を上げることもでき

ませんでした。そのMちゃんに対するお父さんの最初のことばは、

「Mちゃん、おめでとう」

でした。あまりにも思いがけないことばに、ハッとしてMちゃんが顔を上げたとき、

「Mちゃん、おめでとう。いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、い

い勉強をさせていただいたね。お父さんも、ずいぶん、いろいろな失敗をしてきたが、

仏さまは、その度に、お父さんにとって一番大切なことを教えてくださる気がして、

失敗を大切にさせてもらってきた。Mちゃん、いくらお金を積んでも、いくら望んで

も得られない、こんどの失敗、どうか生涯大切にするんだよ。それと一緒に……」と、

居ずまいを正されました。大切なことを話される時のお父さんのくせです。「自分が

得意の絶頂に立ったときにも、どこかに、泣いている人があるということを、いつも

考えられる人間になっておくれ」Mちゃんには、これが、仏さまじきじきのおことば

のように思われたといいます。

 事実、仏さまは、このお父さんを通じて、Mちゃんを包んでいた失意の闇を破って

くださったのでしょう。

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