正楽寺日誌 つれづれなるままに

願われていた私
赦してもらって生きていた私

 当時、私は高等二年の男子を担任していました。三学期の終りでした。理科の時間だったと思います。

「これで、高等科の理科の勉強はすべて終ったわけだが、何か質問は残っていないかい」

といったとき、ぱっと挙手したのは北村彰男という子どもでした。母一人子一人の貧しい家の子どもで、

小学校三年の時から、毎朝三時半に起きて、豊岡の町を新聞配達して廻り、帰って勉強し、それから朝食をすませて学校にやってくる子どもでした。

私が指名しますと、

「先生、あああと口をあけると、のどの奥の方にベロンと下ったぶさいくな肉片が見えてきます。あれは、一体、どういう役目をしている道具でしょうか」

というのです。

「北村君、すまんが、先生はあれの役目を知らんわい。きょう帰って調べてみるからな、明日まで答えを待ってみてくれんかい」

という以外ありませんでした。はずかしいことですが、私は教師のくせに、あののどの奥のベロベロしたものの役目を知らなかったのです。

 下宿へ帰るなり、人体に関するあらゆる書物を引っ張り出して調べてみてやっとわかったのです。ものを飲み込む時、

のどの奥のところで、気管の道と食堂の道が岐れているわけですが、口からはいっていった食べ物が気管の方へいってしまったら

たいへんです。窒息してしまいます。それをそうさせないために、たべものをのみ込むときには、あのベロベロしたものが、

気管への入口を蓋してくれるわけです。そのおかげで、食物がまちがいなく胃袋の方へはいっていってくれるわけです。

 それがわかったとき、私は、頭の上がらない思いにさせられました。だって、あのベロベロの役目を知らないくらいですから、

一度だってお礼を言ったことはありません。すまんなあと思ったことだってありません。すまんと思わないどころか、

「わしが生きていてやるのだ」というような驕慢さで生きていた私だったのです。そういう私のために、生まれて母親の乳を呑み

はじめたそのときから、働き通しに働いていてくれたのが、のどの奥のあのベロベロだったのです。

「してあげる世界」から
「させていただく世界」へ

 私が、ずっと以前から「お念仏の師」としてひそかに敬仰させていただいてきた先生に雑賀正晃先生があります。

その雑賀正晃先生のご著書に『光りを生きる』(百華苑)というのがあります。その中に、まことにありがたいお話がでてまいります。

 先生が、どこかのお寺のご法話におでかけになり、夜のご法話を終られて控室にお帰りになりましたのを、一人の奥さんがお訪ねになりました。

 その奥さんというのが、結婚して二年たたぬ中におじいさんが中風でたおれて全身不随、それからまたおばあさんがたおれて全身不随、

それからまた間もなくご主人がよその屋根から転落して下半身不随……(そのお家はお父さんは戦死、お母さんは再婚ということで四人暮らし)ということで、

結婚して五年もたたないのに三人のシモの世話までしなければならなくなられたのです。農家ですから田の仕事もあります。

 村の人が気の毒がって「あんたはこの家に病人の世話をしに来たようなものだ。さいわいまだ子どもさんがないんだから実家へ帰ら

せてもらいなさい。せっかくの女の一生を棒にふってしまう」

 といわれると、そうさせてもらいたい気もするのですが、だからといって三人の病人を見捨てて帰ることもできかね、毎日毎日心が

迷って定まりません。わたしはいったいどうしたらいいのでしょうかーという相談のためだったのです。

(※そのとき雑賀先生は、相談に訪れた奥さんに、「どちらでもなさい。ただし、ここではっきりしておかねばならないのは、この世は

あくまで因果の道理で動いているということです」と答え、さらに「その三人は病を患う“因”があり、その三人の面倒をみなければ

ならない“因”が奥さんにもあったということなのです」と。その話を聞いた奥さんは)

「先生、おはずかしいことでした。己れの播いた種が己れに生える。そうでした。これだけお聞かせいただいておきながら、

さてわが身に火の粉がふりかかってくると、その大事なことをすっかり忘れてしまって、何で私だけがこんなつらい目にあわ

なければならぬかと思ったりしまして……。先生、受けていきまいきます。どこまでも、私の業を果たさせていただきます」

「奥さん、ありがとう。よういうて下さった。私のような者でも、こんなに涙がこぼれるのに、如来さまや親鸞さまがどんなに

よろこんで下さるでしょう。さあ、夜もずいぶん更けたからお帰りなさい。ただ、最後にもう一つ申しておきたいことがあります。

重い重い業を背負って、泣きながら帰っていかれる奥さんですが、あなたがひとりで泣いているのではないのだということです。

その苦しみを代ってやれるものなら代ってやりたい。しかし、業報の世界はひとりひとりの世界なのです。

代わってやれるのなら、如来さまには苦もなければ大悲(大いなるいつくしみの心)もないのです。

代ってやることができないから泣かずにおれない。それが如来さまの大悲なのです。

あなたがひとりで泣いているのではない、いっしょに泣いていてくださる方があるのです。どんなにかつらいでしょう。

悲しいでしょう。でも、この大悲とともにがんばろうね」

ということで別れられたのです。先生の教えによって、この奥さんは、「してあげるのではなくて、させていただくのだ」

ということを了解されたのです。他人の荷物を背負ってあげるのではなく、己れの荷物を己れが背負わせていただくのだと受けとめられたのです。

山の中にいると山が見えない
汚れの中にいると汚れが見えない

 お医者さんの薬だけが薬だと思っていたら

 ちがった

 一日中の天敵がやっと終り

 後の始末をしにきてくれたかわいい看護婦さんが

 「ご苦労さまでした」

 といってくれた

 沈んでいる心に

 灯がともったようにうれしかった

 どんな高価な薬にも優った

 いのち全体を甦らせる薬だと思った

 そう気がついてみたら

 青い空も

 月も

 星も

 花も

 秋風も

 しごとも 

 みんな みんな

 人間のいのちを養う

 仏さまのお恵みの

 薬だったんだなと

 気がつかせてもらった

 山の中にいると山が見えない

 汚れの中にいると汚れが見えない

私の体の中にも「ありがとう」と
お念仏の灯がともってくださる

 もう、何年くらい前になるでしょうか。毎日新聞社会部がまとめた『幸福ってなん

だろう』(エール出版刊)という本が出版されました。その本の「はしがき」に書か

れた文章を、私は今も忘れることができません。ご縁のある多くの皆さんにたびたび

ご紹介しているうちに、いつの間にか、私は、その文章を暗記してしまいました。

ご紹介しましょう。

 昨年十二月。私の最愛の人が四十八年の生涯を終って、永遠の眠りについた。乳ガ

ン手術後の転移ガンである。その年の三月から脊椎が侵されて下半身がマヒし、大阪

の自宅で寝たきりであった。医者は「あと半年のいのち」と宣告した。そのころ私は

勤務地の福岡にいた。大阪と福岡。離ればなれのふたりは、毎晩、短い電話をかけあっ

た。彼女の枕元の電話機が「夫婦の心」を知っていよう。彼女は、自分の病気が何で

あるかをうすうす悟っていた。

 死ぬ一ヶ月前。真夜中に電話をかけてきた。いつもの澄んだ声である。

「おきていらっしゃる?」「うん」「夜中に電話をかけてごめんなさい。私眠れなかっ

たの」「痛むか」「痛むの。でも……」しばらく声がとぎれた。「私の一生は、ほんと

うに幸福な一生でしたワ」

泣いているようである。受話器を持つ私の手はふるえた。妻よ。感謝すべきは、こ

の私ではなかったか。二十三年間、ずいぶんと苦労もかけたのに、彼女は私と子ども

たちのために、よくつくしてくれた。明るい家庭の太陽であったのに。

ーという文章です。

 奥さんには、ご自分の病気が何であるかわかっていらっしゃるのです。末期癌の痛

みの中で、いよいよ、自分の最期の日が近づいていることを、お感じになっているの

です。

 如来さまは、きっと奥さんのその絶望的なお心の中におはいりになって、絶望の淵

から、奥さんを引き戻そうとなさって、光を放って、ご主人の大きな愛情に包まれて

歩まれた、今までの人生の輝きを、お見せになったのでしょう。今までの人生の輝き

をご覧になると、奥さんは、その感動をひとり占めしておくことがおできにならず、

真夜中、電話で、その感動をお伝えになったのでしょう。それをご縁に、「妻よ、感

謝すべきは、この私ではなかったか」と、この奥さんに支えられてきた人生の輝きに、

感動のあまり、受話器をおもちになる手がふるえたのでしょう。

 このご夫婦が、仏法にご縁のある方であったかどうか、私にはわかりません。でも、

そんなことにかかわりなく、如来さまは「一切衆生」のためにはたらきつづけて、お

念仏の灯をともしてくださるのです。

生きる喜びにめざめさせて
くださるのがほとけさま

 仏さまのお慈悲には四つのおはたらきがあると聞いています。「慈」「悲」「喜」「捨」

の四つです。どんな暗い重い宿業を背負って、その荷の重さに圧しつぶされそうになっている者にも、

生きがいを失ってヤケになっている者にも、劣等感にとりつかれてしょげている者にも、

自信を回復させ、勇気を与え、希望を育て、生きる喜びに目覚めさせてくださるのが仏さまです。

 「泣」という字は、「サンズイ」に「立」という字が添えてあります。

「涙」という字は、「サンズイ」に「戻」という字が添えてあります。

これは、私たちが深い悲しみに出合い、涙に溺れてしまいそうになっているとき、

それがどんなに深い悲しみであっても、必ず「立」ち上がらせずにはおかないという、

仏さまの願いを表わすために「サンズイ」に「立」を添えて「泣」という字にし、

「涙」におし流されてしまおうとする私たちを、必ず、引き「戻」してくださる仏さまの

お心を表わすために「サンズイ」に「戻」を添えて、「涙」という字にしてあるのだと聞いたことがあります。

 これに関連して思い出すのは、『観無量寿経』の中の「諸仏如来は是れ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入れ給う」

というおことばです。如来さまは、いつも、私たちの心や想いの中におはいりくださって、私たちをお導きくださっているのです。

私たちが、悲しみの底に溺れて泣いているときには、新しい視点をお与えになって、立ち上がらせ、

悲しみの涙におし流されてしまおうとしているときには、新しい生きがいをお示してくださって、

引き戻してくださるのでしょう。

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