正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

きづかなくても
大いなる親のひざの上

 拝まない者も

 おがまれている

 

 拝まないときも

 おがまれている

 

 これは、私の近くの路傍のお地蔵さまからいただいたことばです。

  私は、若い頃、「無神論」にたぶらかされて、仏さまもくそもあるものかなどと

 壮語していた時がありました。しかし、そういう私をも、仏さまは、赦し、念じ、

 祈り、拝んでいてくださいました。きがつかなくても、大いなる親のひざの上だったのです。

  私は、毎朝、目を覚ますと、このことばを、心の中でつぶやきます。そしてお念仏

 しながら起床させてもらいます。一晩中、眠りこけている真最中も、私は、願われ、

 拝まれ、赦されて、過ごさせていただいていたのだと思うと、おのずから、お念仏

 が出てくださるのです。

働きづめに働いている心臓
ほら、いまも

 大いなるいのちへの目覚めのために、私に、大きな影響を与えた書物の中の一冊

に『療病求道録』という書物がありました。著者は山県正明という方でした。

 その頃は、「結核」が、今日の「癌」のように恐れられ、世話をする人たちに

感染するというので、嫌われていました。私の近親の者の中にも、若い命を結核に

奪われた者が幾人もありましたし、私がうらやましいと思っていたような健康な仲間

が、幾人も結核で死んでいきました。

 山県さんも、その結核だったのです。両肺全体に病巣が広がり、医師からも、家族

の方々からも見放され、山県さんご自身も、家族の方々への感染をおそれ、離れの

座敷で、一人絶望の底に沈んでおられたようです。

 どころが、ある朝のことでした。気がついてみると、被っておられる布団が、ピクッと、

ほんとにかすかに、ゆれているのです。心臓の鼓動で、ピクッ、ピクッと

ゆれていたのでした。

 山県さんは、ハッとされました。医師も見放している。家族の方々も見放しておられる。

そればかりではありません。山県さんご自身さえも見放しているその山県さんを、

なお見放すことができないで、夜も昼も、生かさずにはおかないぞと、

願いづめに願い、働きづめに働いている”はたらき”に目覚められたのです。

 とたんに、大きなよろこびと、安らぎと、生きる力が甦ってきました。そして、

生も死も、すべて、この大きな願い、働きに預ける以外にない自分に、目覚められ

たのです。

 ところで不思議なことにそれから、体中に活力が湧き起こり始め、山県さんは遂に、

再び働くことができるようになられたのです。

「このよろこびと、安らぎと、力を、何とか同じ病の中で苦しんでいる方々に届け

たい一心から、私は、この書物を書いた」と、お書きになっていたことが、今も、

私には忘れられないのです。

 心臓は、山県さんが気づかれる気づかれないにかかわらず、ずっとずっと前から、

働きづめに働いていたのです。山県さんも、大きなみ手のまんなかに生き、そして

病み、み手のまんなかで、絶望されていたのです。

 これから「救い」にあずかるのではないのです。既に「救いのみ手」のなかに

あった自分に目覚めさせていただくばかりなのです。

尊いものを仰ぐ
美しいものに感動

 ある保育園の保母さんが幼な児たちのことばを記録しておられますが、その中に

「ぼくの舌、動け」

というたときは

 もう 動いたあとや

 ぼくより先に

 ぼくの舌 動かすのは

 何や?

というのがありました。五歳の男の子のことばだということでしたが、こんな幼い

子どもにも、人間存在の根底にあり、背後にあり、存在そのものをあらしめている

大いなるものを見る目が、既にちゃんと開かれているのだということに、驚いたことでした。

 そして、それといっしょに、こういう驚き、芽生えを尊いものとして大切にし、

いたわってやってくださっている保母さんのお心を尊く思ったことでした。

 私に、この「大いなるもの」に驚く心が芽生えたのは、K先生に教わっているときでしたから、

小学四年生のときでした。

 朝顔の花が、ほんとに短い時間しか開いておれないのがかわいそうで、一度咲いて

しおれてしまっているのを、ひとつひとつねじって、にせものの蕾をつくってやりました。

もう一度咲かせてやりたかったのです。

 にせものを見破られそうなのもありましたが、ほんものとまちがえて、もう一度

咲きそうに見えるのも幾つかできました。

 翌朝が楽しみでした。

 夜が明けるか明けないかの早朝、とびおきて見に行きました。するとどうでしょうか、

ひとつ残らず、前の日より更に更にみにくくしおれてしまっています。

中には萼(がく)から抜け落ちてしまっているのもあります。

「花はやっぱり知っているんだ!」

「花はやっぱり知っているんだ!」

と叫ばずにはいられませんでした。

 それから、五年生のときでした。友だちと二人、学校から帰る途中の田舎道でした。

秋だったのでしょう。ほんとに空が澄んでいました。

「あの青い空、ずうっと、ずうっと、ずうっとのばっていったら、もうこれから

先はのばれんという空の天井があるんだろうな?」

「いや、天井なんてないんだって、どこまでいっても、どこまでいっても空なんだって」

「そこを、もっともっともっともっと行くんだ、そしたら、もうこれでおしまい

という天井があるにちがいないと思うんだ」

「いや、どこまでいっても、どこまでいっても空なんだ、それを無限っていうんだ」

「おかしいな!無限だなんておかしいな!」

「不思議だな!無限だなんて不思議だな!」

二人で見上げる空は、ほんとに美しく澄んでいました。無限の空の底を二人の子ども

が歩いている、そのことがまた妙に不思議だったあの思いを、あれから五十数年

も生きさせてもらった今も、忘れることができません。

 

おとせばこわれるいのちだからこそ
このいのちが尊い

おとせば

こわれる 茶碗

いますぐにでもこわれる茶碗

 

おとせば

こわれる いのち

いますぐにでも こわれるいのち

 

でも

それだからこそ

この茶碗のいのちが 尊い

それだからこそ

この わたしのいのちが

いとしい

たまらなく

いとしい

 

こわれずに いま

ここにあることが

ただごとでなく

うれしい

 

だだごとでなく

ありがたい。

力をぬいたとたん
世界がひらける

 私が、若い頃読みふけつた懐かしい書物の中の一冊に、出隆(いでたかし)先生の『哲学以前』

があります。出隆先生は、哲学者であられるとともに、「神伝流」の水泳の達人でもあられたと聞いています。

 その出隆先生が、何かに「水泳」のことをお書きになっていました。「水は、人間を浮かせるだけの浮力をもっている。

しかるに、人間が溺れるというのは、心の重みで溺れるのである。だから、溺れた人というのは、『こんな所で…』

と思われるほど、浅い所で溺れている。結局、水の浮力に足をとられてあわててしまい、その心の重みで溺れたのである。

心を無にして、身も心も水に預ければ、自分の力を使わなくてもおのずから浮かぶ」というような内容の文章でした。

 出隆先生の、「心を無にして、身も心も水の浮力に預ければ、おのずから浮かぶ」というお言葉は、

親鸞聖人が「如来の本願力に乗託すれば、おのずから然(し)からしむる自然法爾(じねんほうに)の世界を恵まれる」

とお教えくださっていることにも通じているように思います。またそれは、私が子どもの日、あの熱くて熱くてたまらなかった

お灸の熱さが、「きばり心」を抜いたとたん、あんな快い安らぎの世界に変わったことにも、つながっている気がするのです。

 私は、初め、お灸の熱さに負けまいとする「きばり心」の重みで、熱さの底に沈み、熱さの苦しみに溺れていたのです。

それが「きばり心」を捨てたとたん、熱さが苦にならない世界に浮かせてもらったのです。

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