正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

家庭はいのちの灯を
ともしあうところ

 どの家も、外から見たところ、ずいぶん立派になってきました。外見だけではあり

ません。中にはいってみても、ほんとに立派になりました。が、どこやら、ぬくもり

が欠如しているのはどういうことでしょうか。照明はすごく明るくなりましたが、心

の灯が消えてしまっているように感じられるのはどういうことでしょうか。

 お釈迦さまは、この世に存在するものの相(すがた)を、「生」まれるという

相(すがた)、「生」まれたものが、しばらく、発展的に持続する「往」の相(すがた)、

しかし、これはいつまでも、無限に持続するものではなくて、やがて「滅」の相(すがた)

に入っていく。しかし、「滅」の相(すがた)に入る前に、その予兆として「異」(異変)

の相(すがた)が現れてくると仰せられています。あの有名な歴史学者トインビーも、

これと全くおなじことを言っているわけですが、「家庭の崩壊」、少年少女たちの

おびただしい「非行」や、続発する「自殺」事件は、ひょっとすると、「滅」の予兆としての

「異」(異変)の相(すがた)であるのではないでしょうか。

 いま、私たちの国では、おとなも、子どもも、欲望や衝動の促すままに、その充足

に己を忘れてしまっているように思われてなりません。私たちひとりひとりにかけら

れている大いなるものの願いを忘れてしまっているように思われるのです。

 これを忘れては「男」は「男」でなくなり、「女」は「女」でなくなるというもの、

「おやじ」は「おやじ」でなくなり、「おふくろ」は「おふくろ」でなくなるというもの、

これを忘れては「私」が「私」でなくなるというもの、仏さまが「どうか、これ

だけは忘れてくれるなよ」と願っていてくださるもの、これを忘れては、スミレはスミレ

の花を咲かせることができなくなり、ボタンはボタンの花を咲かせることができ

なくなるというもの、存在が存在たらしめるもの、存在を決定するもの、存在の根っこ、

根源のいのち、願い、本願・・・・。これを失っては「滅」に入る以外なくなるというもの、

それを忘れてしまっている私たちではないでしょうか。

 「根」を失ってしまっては、花を咲かせることも、実を実らせることもできません。

私に、いのちの灯はともりません。

 「家庭」は、家族の者が、それぞれいのちの根を育てあう場、いのちの灯をともし

あうところ、私を私にしていただく道場。

 そのいのちの灯、生きがいの灯、私を私にしてくださる灯、それが、家庭の心の灯です。

 今こそ、家に、心の灯をかかげましょう。

このままの私こそ
仏さまのご本願のお目あてであった

 大いなるみ親の救いの目あては、この私であったのです。しかし、努めても、努めても、

「死にともない心」を、どうしても超えることができないのです。

浄土真宗のものだけでなく、他宗のものも、キリスト教のものも、「死」の問題にかかわり

のありそうな書物を見つけては、読みあさりました。「死」の問題にかかわりのありそうな

文学作品も、ずいぶん読みあさりました。でも、どんなにしてみても「死にともない心」

を超えることができないのです。

 これは、私の真剣さが足りないからだと考えました。朝は、四時起床ということにしました。

そして、起きると、冷たい水で、休中を摩擦して、体中に目を覚まさせ、それから朝の勤行、

勉強・・・・というようにして、毎日をスタートしました。そのことを、別に人に話した

覚えもないのに、同僚の一人が「近頃のあんたには、何か、鬼気のようなものを感じる」

といってくれたこともあります。でも、やっぱり、「死にともない」のです。

何年たっても、何年たってもダメでした。

 これは、「死」を、まだまだずっと先のことだと考えているためではないかと、考えました。

それで、父が亡くなった年齢である、六十三歳の十一月三十日を私の最期の日と、心に決めました。

 午前四時起床、全身の冷水摩擦、勤行、勉強・・・という毎日を、心に決めた「私の最期の日」

を目指して、何年、年を重ねたことでしょう。でも、どこまでいっても、やっぱり「死にともない」のです。

 とうとう、六十三歳になっても、十一月になっても、あせっても、あせっても、というよりは、

あせれば、あせるほど、よけい「死にともない心」が、力を増す気さえするのでした。

 そして、どうにもならないまま、十一月三十日を迎えてしまいました。どうにもならないまま、

その日が暮れ、遂に、空しくその時刻を迎えてしまいました。

 精も根もつき果てて、如来さまの前に額ずいたまま、頭が上がりませんでした。

ずいぶん、長い間、頭の上がらないまま、額ずき続けていました。

 その私に、声が聞こえてくださいました。はっきり、聞こえてくださいました。

それは、『歎異抄』第九のおことばでした。

「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころ

の候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん」と、親鸞聖人お尋ねした唯円房さまのお声でした。

ハッとしました。唯円房さまは、後の世に生まれてくる「死にともない私」に代って、「私」のために、

この質問をしてくださったのだと思いました。その質問に対して、親鸞聖人が、「死にともない私」をお叱りに

なるのでなく、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり」と、「死にともない私」

のためにお答えくださっているのを感じました。親鸞聖人が、高いところからではなく、「私」と同じ

座までおりて、大きくうなずきながらお答えくださるのが何ともいえず、ありがたく思われました。

そして、「よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬ」「にて」

「いよいよ往生は一定とおもひたまふなり」「よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為なり」

「しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、

われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」と、答えてくださっているのです。

「われら」の中に、親鸞聖人も、唯円房さまも、「死にともない私」も、含めてくださっているのが、何と

もありがたく思われました。三人で、ご一緒に、「煩悩具足の凡夫」をお目あてに現れてくださった、

真如の月を仰がせていただいているような感動がこみあげてきました。

 「死にともない私」のままでよかったのです。「死にともない私」を「殊勝な私」にする必要はなかったのです。

「死にともない私」を「殊勝な私」にする力など、「私」にはなかったのです。そんな力が「私」にあるのだったら、

「他力の本願」などなかったのです。

 「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて」「ちからなくしてをはるときに」「かの土」へまいらせてもらうのです。

よろこび勇んでではなく、しようことなしに、「いそぎまいりたきこころなきものを」「ことに」「あはれみたまふ」

み仏のところに帰らせていただくのです。「死にざま」をとり繕う必要なんか、微塵もなかったのです。

七転八倒、「死にともない」と、わめきながら終ってもまちがいなく、摂め取っていただける世界が、既に成就されていたのです。

青い空も月も 星も 花も
みんなみんな仏さまのお恵み

 お医者さんの薬だけが薬だと思っていたら

 ちがった

 便所へ行くのにも どこへ行くのにも

 点滴台をひきずっていく

 一日中の点滴がやっと終り

 後の始末をしにきてくれたかわいい看護師さんが

 「ご苦労さまでした」といってくれた

 沈んでいる心に灯がともったようにうれしかった

 どんな高価な薬にも優った

 いのち全体を甦らせる薬だと思った

 そう気がついてみたら

 青い空も 月も 星も 花も 秋風も

 しごとも

 みんな みんな

 人間のいのちを養う

 仏さまお恵みの薬だったんだなと気がつかせてもらった

生きているものは光っている
みんなそれぞれの光をいただいて

 私は、教師になってからもなかなか子どもという奴は、かわいい奴だと思えません

でした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そう

いう私でした。一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな

奴だ」ということになるような気がしたものです。子どもが「やっかいだ」というの

は、子どもが生きているからである、生きているからこちらの思うようにはなってく

れないのであって、それはたいへん結構なことであると分からせてもらったのは、ず

っと後のことでした。

 生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結

びたがっていると分からせてもらったのは、またその後のことでした。

 そして、生きているのではなくて、どうやら生かされているようだぞ、と分からせ

てもらったのは、さらに後のことでした。どす黒いいやな荷物を、子どものくせにす

でにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、

安らぎを求めずにはおれないように、生かされているようだぞと分からせてもらった

のです。

 生きているものは、光っている。

 どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。

拝まれ ゆるされ
生かされている私

 お地蔵様にあいさつしようとしたとき、ハッとした。お地蔵様は私が手を合わせる

よりさきに、私に手を合わせていらっしゃる。拝むものだけを拝まれているのではない。

 背いている真っ最中も抱かれていた。

 仏さまは、私の向こうにではなく、私の背後にあった。

 私のような者も、拝まれ、祈られ、赦され、生かされている。

 幼い時からずっとずっと、こういう私によりそって、はらたきづめにはたらいて

くださったはたらき、願いがあった。

 大人にも、子どもにも、私たち一人ひとりにかけられている大いなるものの願いがある。

 生きるための一切の努力も投げ捨てて、眠りこけていた私であったのに、目が覚めて

みたら生きていた。いや、生かされていた。

 いつどこで、どんな大暴れをやり、自他を破綻に追い込んでしまうかもわからない

恐ろしいものを潜めている川にそって、岸がつくられた。私にそって本願がある。

 私だけでなく、親子ともども大いなるいのちに、願われ、祈られ、赦され、生かされている。

 どんな荒れ狂う川の水も、摂(おさ)めとっていく海のように必ず摂取される世界があった。

その世界のどまん中に、私は生かされていた。背いているときも、誘っているときも

「み手のまん中」であった。

 気がついても、気がつかなくても、大いなる親のひざの上にいる。

 どこへいっても、何をしているときも、わすれているときも、私を支えてくれてい

るものがある。

 自分を包んでいる大きな愛、願われているしあわせの思い、そういうものが、苦難

をのり越える力になってきた。

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