仏さまのお慈悲には四つのおはたらきがあると聞いています。「慈」「悲」「喜」「捨」
の四つです。どんな暗い重い宿業を背負って、その荷の重さに圧しつぶされそうになっている者にも、
生きがいを失ってヤケになっている者にも、劣等感にとりつかれてしょげている者にも、
自信を回復させ、勇気を与え、希望を育て、生きる喜びに目覚めさせてくださるのが仏さまです。
「泣」という字は、「サンズイ」に「立」という字が添えてあります。
「涙」という字は、「サンズイ」に「戻」という字が添えてあります。
これは、私たちが深い悲しみに出合い、涙に溺れてしまいそうになっているとき、
それがどんなに深い悲しみであっても、必ず「立」ち上がらせずにはおかないという、
仏さまの願いを表わすために「サンズイ」に「立」を添えて「泣」という字にし、
「涙」におし流されてしまおうとする私たちを、必ず、引き「戻」してくださる仏さまの
お心を表わすために「サンズイ」に「戻」を添えて、「涙」という字にしてあるのだと聞いたことがあります。
これに関連して思い出すのは、『観無量寿経』の中の「諸仏如来は是れ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入れ給う」
というおことばです。如来さまは、いつも、私たちの心や想いの中におはいりくださって、私たちをお導きくださっているのです。
私たちが、悲しみの底に溺れて泣いているときには、新しい視点をお与えになって、立ち上がらせ、
悲しみの涙におし流されてしまおうとしているときには、新しい生きがいをお示してくださって、
引き戻してくださるのでしょう。
しくじりは つらい
しかし しくじりは
自分にいちばん欠けているものを
教えてくれるために現われた
お使いかもしれないのだ
しくじりから学ぼう
失敗を大切にしよう
この「失敗」のおかげでといえるくらいに
失敗から学ぼう
友を選ぶなら
失敗しない人よりも
失敗しない人よりも
失敗をたいせつにする友を選ぼう
そして 自分もそういう自分になろう
わたしの学校の竹箒部屋の竹箒は、今日で二百日あまり、倒れたり、傾けたり、ひっくりかえったりすることなく整列していてくれる。
百三十日目くらいだったろうか、朝礼のとき、わたしは一メートルばかりの大きな温度計をもって台上に立った。
「けさの温度は何度くらいだろうか」というようなところから温度計に注目させ、毎日寒い日がつづくから、温度が低いことを話し、
「でもね、みんなの中には、誰かしらんけれど、温度計のてっぺんまで赤い棒が伸びるほど、心の温い子がいるらしいんだよ。
校長先生は毎晩、学校を見廻りに学校にやってくるんだけど、どんな夜半でも、竹箒がきちんと行儀よく並んでいるの。今日で百三十日くらいだと思うんだけど、倒れていた日は一回もないんだよ。竹箒をかわいがってやってくれている心のあたたかい人は誰なの?手をあげてみてください」と言った。一人も挙手する者がなかった。
「誰かしらんけれど、とっても心のあたたかい人がいてくれることが、先生はうれしくてならないんです。みんな、人を困らせたり、物をいじめたりなんかしない、心のあたたかい子になってくださいね」
と言いながら、わたしは温度計をかかえて台を降りた。
それから、少し日が立って、四年生の男の子が箒をまもるためにがんばってくれていることがわかってきた。わたしが、いつか
「ほんものとにせものは、見えないところのあり方でわかる。それだのに、にせものに限って見えるところばかりを気にして、飾り、ますますほんとうのにせものになっていく」と話して以来、人に見えないところでいいことをがんばるようになったのだ、ということであった。
私の若い頃から、ずっと不断にお育てをいただいてきた森信三先生は、ご飯をおあがりになるにも、
ご飯とお副えものを一緒に口に入れては、食物に申しわけないとおっしゃり、ご飯をよくよく味わい、それを食道に送ってから、
お副えものを口にされ、お副えもののいのちと味を、充分お味わいになってから、ご飯を口になさると、承ってきました。
いつか、お伺いしたとき、出石の名物の餅を持参したことがありましたが、
「これほどの餅をつくるところが出石にありますか」
と、おっしゃり、何気なく口にしていたことが、はずかしくなったことがありました。
毎日、食物をいただかない日なしに、七十七年も生きさせていただいてきた私ですが、食べものたちに対しても、ずいぶん、
申しわけない自分であることに気づかされます。食べ物をつくつた方々に対しても、ずいぶん、申しわけない「この身」であることに気づかされます。
せめてわたしも……
数えきれないほどのお米の一粒々々が一粒々々のかけがいのないいのちを ひっさげて
いま この茶碗の中に わたしのために
怠けているわたしの胃袋に目を覚まさせるために山椒が山椒のいのちをひっさげて わたしのために
梅干しもその横に わたしのために……
白菜の漬物が 白菜のいのちをひっさげ万点の味をもって わたしのために……。
もったいなさすぎる もったいなさすぎる
東井先生は27歳のとき、お父さんを亡くされました。
7年間も病床にふせっておられたお父さんの様子を見るため、ある日、東井先生は豊岡から帰宅されました。
思いがけない日の、思いがけない時刻(夜半)の帰宅に、たいへん喜ばれたお父さんは、東井先生にこう言われたそうです。
「生きておれば、何の役にも立たんわしを、おまえがこうして案じてくれる。
いま、息が絶えても、大きな大きなお慈悲のどまんなか。
世界中に、ぎょうさん人間は住んでいるが、わしほどのしあわせ者が、ほかにあろうかい」
この言葉は、次第に小さくなって消えていったといいます。
63歳のご往生でした。
東井先生のお父さんは、たいへんありがたい念仏者でした。
いつも、阿弥陀さまのお救いと、阿弥陀さまのみ手のどまんなかに生かせていただいていることを、よろこばれていたそうです。
このお父さんの最後の言葉を、たまたま家に帰って思いがけなく聞かれた東井先生は、のちにこうふり返っておられます。
「若い私は、その事実を、父が『人間に生まれさせていただいた以上、<生きても、死んでも、しあわせのどまんなか>という世界に到達できなかったら、人間に生まれさせていただいたねうちはないのだよ』と教えるために、私を呼び寄せてくれたのだと思いました」
また、東井先生の晩年の著書では、お父さんのことを、このようにも味わっておられます。
「ひょっとすると、あの父は、如来さまが、私のためにお遣わしくださった、如来さまのお使いであったかも知れないと思うのです。
(中略)
いつ壊れても不思議でない体です。
『終わりの時』は目の前にあるのです。
でも、妹も申します通り、
『いつ壊れてもみ手のまんなか』です。
終わってから『み手のまんなか』に拾っていただくのなら、『ひょっとして、拾っていただけなかったら…』という不安もあるでしょうが、現在ただ今、既に『み手のまんなか』なのですから、死にざまなどかかわりなく、『いつ壊れてもみ手のどまんなか』なのです。
この安らぎの世界に目覚めさせてくれたのは父です。
父はやっぱり、まちがいなく、如来さまのお使いだったにちがいありません」
こちらが意識するしないにかかわらず、阿弥陀如来さまの、お救いのみ手のどまんなかで、生かせていただいているという、東井先生の念仏者としての深い味わいが、そこにあります。
私たちにとって、東井先生は、如来さまのお使いだったのでした。