正楽寺日誌 つれづれなるままに

寒さの中であたたかさの
よろこびを知らせてもらう

 雨の日には 雨の日の

 悲しみの日には 悲しみの日の 

 かけがえのない大切な 人生がある

 暑さの中で

 涼しさの味をしらせてもらう

 寒さの中で

 あたたかさのよろこびをしらせてもらう

 しあわせには 

 小さいのはない 

 大きいのばっかり

 ちょっとみると小さく見えるのも ほんとうは私にはすぎた

 大きいのばっかり

 

おかげさまのいのち
おかげさまの新年

 私は、今、長女が三歳の秋、お医者さまから「お気の毒ですが、この病気は百人

中九十九人は助からぬといわれているものです。もう今夜一晩よう請け合いません」

といわれた晩のことを思い出しております。

 脈を握っていると脈がわからなくなってしまいます。いよいよ別れのときかと思

っていると、ピクピクッと動いてくれます。やれやれと思う間もなく脈が消えてい

きます。体中から血の引いていく思いで、幼い子どもの脈を握りしめていると、か

すかに脈が戻ってくれるのです。このようにして、夜半十二時をしらせる柱時計の

音を聞いた感激。「ああ、とうとうきょう一日、親と子が共に生きさせていただく

ことができた。でも、今から始まる新しいきょうは?」と思ったあの思い。「ああ、

きょうも親子で生きさせていただくことができた」「ああ、きょうも共に生きさせ

ていただけた」というよろこびを重ねて、とうとう新しい年を迎えさせていただく

ことができた日の感激。

 その後、男の子二人を恵んでいただき、それぞれが揃って大きくなってくれたの

ですが、日を暮らして勤めから帰ってきますと、百人に一人の命をいただいた娘が

「お父ちゃんお帰り」と叫んで、前から私の首たまにとびついてきます。長男が同

じょうに叫んで後から首たまにとびついてぶらさがります。末っ子はぶらさがると

ころがありません。「モォーッ」と牛の鳴きまねをしながら、四つんばいになって

私の股くぐりをします。「何がまちがっても、絶対まちがいなくやってくることは、

このかわいい者たちと別れなければならない日がくるということだ。それだのに、

いま、こうして親と子が共にたわむれることができるこのただごとでないしあわせ

を、しあわせと受けとらずに、一体、これ以上のどんなしあわせがあるものか」と、

私自身に言い聞かせずにおれなくしていただいた私です。

 落せば、今すぐにでも壊れてしまう茶碗が壊れずに今ここにある、そう気づかせ

ていただくと、茶碗のいのちが輝いて拝めます。私たち親子のいのちも、プラスチ

ックのいのちではないのです。だからこそ、無倦の大悲がかけられているのです。

 大悲の中のいのち、今年も、しっかり、しっかり生きさせていただきましょう。

「目をあけて眠っている人」
私も、その一人でした

 中学校の校長を勤めさせていただいていたときでした。あちらこちらでがんばっている卒業生たちが

お正月休みに帰ってきて、学校を会場に同級会をしました。はじめに、自分は今、どんなことを考えながら、

どういうことをがんばっているかという自己紹介をしたのです。

 そのときの一人の青年のことばには、みんな感動してしまいました。その青年は申しました。

「ぼくは、中学在学中は、皆さんもご存じのとおり、勉強はできず、わからないことがあっても、

質問もできないだめな生徒でした。勉強ができないから進学はできません。

個人商店に就職したのですが、その店に、ぼくと同年の娘さんがいるのです。

その娘さんが『この靴、磨いといて』と靴磨きをいいつけます。

靴くらいは磨きますが、シャツやズロースの洗濯をさせられたときには、男に生まれて、

同年の娘さんのこんなものまで洗濯しなければならぬかと思うと、無念で、無念で、涙があふれて仕方がありませんでした。

そのとき、涙でかすんだ瞼の向こうに見えてきたのは、但馬の山奥で、貧乏な百姓をやっている両親の姿でした。

それが見えてきたとたん『これくらいのことでくじけてなるか、ズロースだろうが何だろうが洗わせてくれ、

くじけんぞ』という思いがこみあげてきて、ほほえみをとり戻すことができました。皆さん、ぼくの十年先を見ていてください」

というのです。みんなみんな、涙なしには聞くことができませんでした。

 さて、人間というものは、この青年のように、「ぼくの十年先をみていてください」

ということにならないと、光を放つことはできないのではないでしょうか。

 だめな人間というのは、素質の悪い人間ということではなく、スイッチのはいらない人間ということではないでしょうか。

私は、このように考えて、子どもたちに、いつも、次のように呼びかけてきました。

 

 心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目

見ようという心がないと

見ていても 見えない

人間の耳は 不思議な耳

聞こうという心がないと

聞いていても 聞こえない

頭だってそうだ

心が眠っていると頭の働きをしてくれない

まるで 電灯のスイッチみたいだ

仕組みはどんなに立派でも

スイッチを入れなければ

光は放てない

 

「モノ」のいのちを
いとおしむ心

 「おはよう」の挨拶がすむと、私は「痛いだろうか?」と言いながら、いきなり朝礼台の上で

私の腕を曲げてみせました。不意にそんなことをするものですから、大きい子どもたちは私の意図を読みかねて、

あっけにとられている様子でした。ところが、一年生の子どもが「痛うないです」といってくれました。

「じゃ、こっちむきに曲げたら?」といいながら、関節を逆に曲げようとしました。

「校長先生、そんなことしたら痛いです」

と言ってくれたのは、やはり一年生でした。

「そう、こんな方に曲げたら痛いね。骨がこわれてしまうね。でもね、きのうみんなが帰るのを見ていたらね、

運動場で、こうもり傘をビューンと急にふり回すもんだからね。こうもり傘が朝顔みたいに上向きに開いてしまってね、

こうもり傘の骨が痛い痛い、痛いよって泣いているのに、その泣き声の聞こえない子がいたようだぞ。

それからね、みんなが廊下を歩いているのをみるとね、上靴の踵のところを踏みつけている子がいてね、

靴が、痛い、痛いと泣いているのが聞こえないのかなと思ったんだ。

もちろん、みんなの中には、こうもり傘や靴をいじめないばかりか、持ちものをかわいがってやっている人もたくさんいるんだが、

明日は、自分の大事に大事にしている物がある人は、それを持ってきて見せてくれないかね」

と頼みました。

 そういう次第で、あくる日は、はからずも「愛物展覧会」ができてしまいました。

 おじいちゃんの硯をお父さんが使い、それをぼくがもらって使っているという硯。

お母さんの下敷きをお姉さんが使い、破れたところにセロテープをはりつけてわたしが使っているという下敷き。

お父さんの小学校のときの鉛筆削りをもらって使っているという鉛筆削り。鉛筆が短くなって使えなくなったら、

「さよなら、ありがとう」とお礼をいい、箱の中に納めてから新しい鉛筆をおろすという子どものもってきた

「さよなら、ありがとう」と書いた蓋をとってみると、綿をしいた上に、使えなくなった短い鉛筆が、きちんと並んでいました。

こんなに おかげさまを
散らかしている私 すみません

 私の若い頃から、ずっと不断にお育てをいただいてきた森信三先生は、ご飯をおあがりになるにも、

ご飯とお副えものを一緒に口に入れては、食物に申しわけないとおっしゃり、ご飯をよくよく味わい、

それを食道に送ってから、お副えものを口にされ、お副えもののいのちと味を、充分お味わいになってから、

ご飯を口になさると、承ってきました。いつか、お伺いしたとき、出石の名物の餅を持参したことがありましたが、

「これほどの餅をつくるところが出石にありますか」と、おっしゃり、何気なく口にしていたことが、

はずかしくなったことがありました。

 毎日、食物をいたがかない日なしに、七十七年も生きさせていただいてきた私ですが、食べものたちに対しても、

ずいぶん、申しわけない自分であることに気づかされます。

 

  せめてわたしも……

 数えきれないほどのお米の一粒々々が

 一粒々々のかけがいのないいのちを ひっさげて いま この茶碗の中に

 わたしのために

 怠けているわたしの胃袋に目を覚まさせるために山椒が

 山椒のいのちをひっさげて わたしのために

 梅干しもその横に わたしのために……

 白菜の漬物が 白菜のいのちをひっさげ

 万点の味をもって わたしのために……。

 もったいなさすぎる もったいなさすぎる

 

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