正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

明けまして 南無阿弥陀仏

新しい年を迎えました。

諸行無常(存在している全てのものは常に変化している)と聞かせていただいていることを考えますと、
今年もこのようにご挨拶させていただけることは、決して当たり前のことではなく、有難く、嬉しいことです。

今年も正楽寺が、皆さまにとって、仏様のみ教えを聞き、お参りをする大切な場所として在り続けるよう努める所存です。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

昨年は親鸞聖人御誕生八五〇年の節目の年でした。

そして、今年は浄土真宗が開かれて八〇〇年という節目の年を迎えます。

今年も皆様とご一緒に、親鸞聖人が出遇えたよろこびの想いと共にお示しくださった、阿弥陀仏のみ教えについて聞かせていただき、
おかげさまの中に生かされていることを感じ、感謝する一年を過ごさせていただければと思います。 合掌

 

明けまして 南無阿弥陀仏

如来さまのお慈悲に
あわせていただきましょうね

  (注=東井先生のお寺は、すこし高台にあって、周辺に住む人たちがお寺の下に横

穴を掘って、地下水を引こうとします。これに激しい怒りの心がこみあげた東井先生

は、その家にどなり込もうとされます。しかし、お勤めの最中、阿弥陀様のお慈悲を

味わわれて、思い留められます。以下が、そのときの東井先生の想いです)

 如来様のお働きは、死んでから。そんな先の事ではなかったのです。現在ただ今も、

私の為によりそって働きづめに働いて下さっておる。この光に導かれて、自分の恐し

さに気がつかせてもらい、お勤めが終わりますと、下の家へおりていきました。下の

家も、停電で皆んな寝ておりましたが、起きてもらいました。

「門徒の方に知らせてもらって、穴があいたという事を聞いてわしは腹が立って腹

が立って寝られなんだ。寝られんままに、法律の書物を引っぱり出して調べて」と、

一切の始終を話し、仲よく生きさせていただく道を話し合いました。(中略)腹の立

っている真最中に、私に寄りそって、働きづめに働いて下さるお働きがあって下さった

んですね。

 ご開山が、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためな

りけり」とおっしゃっておりますが、ご開山お一人のためということは、如来様のお

慈悲は、私一人のため、皆さんお一人お一人に寄りそって、働いて下さっておるとい

うことですね。校長先生が大勢の子ども達に、誰とはなしに話をしているような、そ

んなことではなかったんですね。一人一人に寄りそって、悲しんでいる時には一緒に

悲しみ、腹の立てている時には口惜しかろうが、このことに目をさましてくれよと、

一人一人に寄りそって、働きづめに働いて下さっているお働きとしていただく時、た

だごとで無い。親鸞一人がためとおっしゃるのは、やっぱり私一人のための、私のお

慈悲であったかと、いただかなかったら、どんな尊い法も、私の幸せになって下さら

んという事ですね。

 ご開山に、出会わせていただきましょうね。

 如来様のお慈悲に出会わせていただきましょうね。私のためのお慈悲と、出会わせ

ていただきましょう。

思っているつもりでいたら
思われていた私

 秋晴れの空に柿の実が色づき、夕焼け色に輝きはじめると、毎年、思い出す子がお

ります。それは、芳子ちゃんという女の子です。

 芳子ちゃんの家には、大きな柿の木がありました。「善左衛門」という種類の甘柿

の木でした。「善左衛門」は、ずいぶん大きな木になる性質の柿で、屋根むねよりずっ

と高く伸びます。実の甘味が強いので、子どものおやつのなる木として、たいていど

の家にも植えてありました。

 でも「善左衛門」の一番おいしいのは、何といっても、屋根むねよりも高い木のてっ

ぺんの方で、しっかりお日さまの光を浴びた柿で、その味は格別でした。それらが夕

焼け色になるころになると、しっかり充実して、頭の方の皮が破れてひび割れます。

ひび割れたところをお日さまがしっかり照らされるので、ちょうど、黒糸を何重にも

巻きつけて鉢巻きをしているように見えるようになります。見事な鉢巻きをしている

ものほど、その味が抜群なのでした。

 芳子ちゃんの家の「善左衛門」も、てっぺんの方には、そういう鉢巻きをしたのが

いくつもありました。その中に、ひときわ大きく、ひときわ見事なのがありました。

色も見事、形も見事、鉢巻きもひときわ見事でした。

 芳子ちゃんは、毎日、学校から帰ると、はしごをさしかけて木に登り、柿をとって

おやつにしていました。でも、その一番見事なのは残してきました。あれが、おばあ

ちゃんの歯にあうようになったらおばあちゃんにあげよう、あれは「おばあちゃんの

柿」だと考えてきたのです。

 その「おばあちゃんの柿」が、いよいよ美しく輝きはじめました。もうあれだった

ら、おばあちゃんの歯にもあいます。

 学校から帰ってきた芳子ちゃんは、はしごを柿の木にさしかけました。先を割って

柿をはさみとれるようにした長い竹ざおを柿の木に立てかけました。そしてはしごを

登っていきました。

 一番上の段まで上ると、竹ざおを「おばあちゃんの柿」の方へ突き出しました。さ

おが届きません。もっと短いさおでも届くように見えたのに、届きません。はしごよ

りもうひとつ上の枝に上がりました。すこし木がゆれます。さおを突き出してみまし

た。日本晴の空がチカチカまぶしくて、どうもうまくいきません。何とか……と苦心

しているときでした。

 「芳子、おちんようにしておくれよ」

それは、芳子ちゃんの大好きなおばあちゃんの声でした。手を休めて下を見ると、は

るか下で、おばあちゃんが、心配そうに、芳子ちゃんを見上げていてくださっている

のでした。

 翌日、芳子ちゃんが私に見せてくれた日記には、その日のことがくわしく書いてあ

り「おばあちゃんのことを、一生けんめい思ってあげているつもりでいたら、いつの

間にか、おばあちゃんの方から思われてしまっていました」ということばで結ばれて

いました。

「思ってあげているつもりでいたら、いつの間にか、思われてしまっていた」ーこ

んなところに、私に日記で訴えずにおれないほどのよろこび、しあわせを感じとって

くれる芳子ちゃんの心の豊かさが、私の心をゆさぶるのでした。

光に遇うと
光をもたない星までが輝きを放つ

 六年生のG郎君たちの学級では、担任の先生の提案で、生まれたときから六年生に

なるまでのことを、お母さん、お父さんに詳しくお聞きして、夏休みの間に「生いた

ちの記」をまとめる、ということになりました。

 腕白者で評判のG郎君は、背も体もお母さんよりも大きく頑丈なやんちゃ者でしたが、

夏休みに入る前の晩、「お母さん、『生いたちの記』を書くことになったんや。まず、

ぼくの生まれたときのことを、今夜は、聞かせておくれ」とお母さんにお願いしました。

 お母さんは、G郎君を仏間へ連れていかれました。そして、仏さまを拝み、お仏壇

の引き出しから、小さい紙包みをとり出して、G郎君に渡されました。

 ていねいに包んだ包みを開くと、また包みが出てきました。それを開くと、まだ包

んであるのです。「何を、大事そうに?」と思いながら開いていくと、最後に出てき

たのは、小さい、かわいい爪でした。

 「何だ、ばからしい、爪なんか」と、G郎君が、胸の中でつぶやこうとしたとき、

「あんたが生まれてくれたとき、両手にも両足にも、指がちゃんと十本そろった男の

子として生まれてきてくれた。こんな立派な男の子を、仏さまが授けてくださったかと

思うと、うれしくて、うれしくて仏さまに、お礼を申し上げずにおれなかった。そして、

仏さまによろこんでいただけるようなよい子に育てさせていただきますと、お約束せ

ずにはおれなかった。それから、お母さんは、あんたの最初の十本の爪を、お母さん

の、一番の宝物にしてきたのよ」と、おっしゃるお母さんの顔には、涙があふれてい

ました。

 それを見たら、G郎君は、わがままばかり言って、お母さんを何べんも困らせてき

た自分が、一気に思い出されてきて、気がついてみたら、「お母さん!」と叫んで、

お母さんの首っ玉にしがみついていました。そして、お母さんのひざの上に、涙を落

としたといいます。

 翌日から書きはじめた、G郎君の長い「生いたちの記」の、いちばんはじめに書か

れていたのが、このことでした。二学期からのG郎君には、今までの元気さといっ

しょに、優しさが輝くようになりました。

 

数えきれないほどのお米の一粒々々が
いまこの茶碗の中に私のために

 私のような情けない校長に「校長先生、おはようございます」二十一世紀を作って

いく子ども達が挨拶してくれる。なんという幸せだろうかと思いますと、一人一人の

子どもに言葉をかけずにおれません。私が回っていく頃になりますと、四月に入学し

た一年生も「校長先生、おはようございます」私に頭をなでてもらうために廊下に

次々に頭つき出して待ってくれております。「おお、おはよう。今日、何頑張ってく

れるんやな」小さい一年生の頭の熱さが、この「もえさし」の、やせた腕に伝わって

きます。二十一世紀を作っていく熱っぽいエネルギーが伝わってきよる、と思うと、

何という幸せだろうか。そこに、私の幸せのすべてが、ございました。

 でも、それもとうとう燃えつきてしまったわけですが、寂しいことですね。年が寄

るということは、しかし、この寂しさにやっぱり寄りそってはたらきづめにはたらい

て下さっている「はたらき」がなかったら、どういうことなんでしょう。これに寄り

そって下さっているこのお慈悲がなかったら、もう大変ですね。年、寄らせていただ

いたお陰で、私はいつもこんな帳面持ち歩いて、その時々の味わいを書きつけること

にしております。

 こんないただき方では

もったいない

すまない

せめて 噛むだけでも

ていねいに噛ませてもらわなければ……と。

ご飯粒に

南瓜に

茄子に

茄子のごまあえのごまに

詫びながら

噛ませてもらう

食欲不振の

尊いいのちをいただきながら

すみません

南無阿弥陀仏。

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