正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

ご報告

この度 預からせていただいております足立区の正楽寺が
アメリカのfaith and formという団体の賞をいただくことができました。

 

この団体は世界中の宗教建築のデザインを評価する団体です。

 

ページはコチラ
https://faithandform.com/feature/2018-awards-program/

 

また、その結果が月に1300万人が閲覧するarchidailyといウェブマガジンにて

数ある受賞作品の中でもトップに写真掲載されました。

https://www.archdaily.com/…/faith-and-forms-2018-program-re…

 

先代が自分の最後の事業と覚悟して
闘病を続けながら建ててくれた本堂・庫裏がこのような素晴らしい賞を受賞できたことは
本当に嬉しく、ただただ感謝です。

 

設計をしてくださった 樫原徹先生にも心よりお祝いとお礼申し上げます。

 

あ、写真手前の墓地は隣寺の墓地です😅
ウチの墓地ではありませんので、悪しからず。。

 

2019-01-09 2019-01-09 (1)

おかげさまのいのち
おかげさまの新年

 私は、今、長女が三歳の秋、お医者さまから「お気の毒ですが、この病気は百人

中九十九人は助からぬといわれているものです。もう今夜一晩よう請け合いません」

といわれた晩のことを思い出しております。

 脈を握っていると脈がわからなくなってしまいます。いよいよ別れのときかと思

っていると、ピクピクッと動いてくれます。やれやれと思う間もなく脈が消えてい

きます。体中から血の引いていく思いで、幼い子どもの脈を握りしめていると、か

すかに脈が戻ってくれるのです。このようにして、夜半十二時をしらせる柱時計の

音を聞いた感激。「ああ、とうとうきょう一日、親と子が共に生きさせていただく

ことができた。でも、今から始まる新しいきょうは?」と思ったあの思い。「ああ、

きょうも親子で生きさせていただくことができた」「ああ、きょうも共に生きさせ

ていただけた」というよろこびを重ねて、とうとう新しい年を迎えさせていただく

ことができた日の感激。

 その後、男の子二人を恵んでいただき、それぞれが揃って大きくなってくれたの

ですが、日を暮らして勤めから帰ってきますと、百人に一人の命をいただいた娘が

「お父ちゃんお帰り」と叫んで、前から私の首たまにとびついてきます。長男が同

じょうに叫んで後から首たまにとびついてぶらさがります。末っ子はぶらさがると

ころがありません。「モォーッ」と牛の鳴きまねをしながら、四つんばいになって

私の股くぐりをします。「何がまちがっても、絶対まちがいなくやってくることは、

このかわいい者たちと別れなければならない日がくるということだ。それだのに、

いま、こうして親と子が共にたわむれることができるこのただごとでないしあわせ

を、しあわせと受けとらずに、一体、これ以上のどんなしあわせがあるものか」と、

私自身に言い聞かせずにおれなくしていただいた私です。

 落せば、今すぐにでも壊れてしまう茶碗が壊れずに今ここにある、そう気づかせ

ていただくと、茶碗のいのちが輝いて拝めます。私たち親子のいのちも、プラスチ

ックのいのちではないのです。だからこそ、無倦の大悲がかけられているのです。

 大悲の中のいのち、今年も、しっかり、しっかり生きさせていただきましょう。

明けまして
南無阿弥陀仏

 今年も皆様に新年のご挨拶をさせて頂きます事、本当に嬉しい限りです。

 

今年の正月は「平成最後の正月」です。皆さまにとって「平成」とは、どのような時代でしたでしょうか。

生活の利便性の向上、電子機器の発展、科学や医療の進歩…挙げたらキリのないほど、この三〇年は激動の時代でありました。

 

そのような中でも決して変わらないものがありました。それは、私たちの生命の在り方です。

お釈迦様は三十五歳の時に悟りを開かれました。

実に二六〇七年前のことです。三十年で生活が激変する時代の中で、仏様の真実の世界は何一つ変わりませんでしたし、
これからも変わりようのないことです。

新しい時代の幕開けを迎えるこの年に、変わらず示され続けている仏様のみ教えに改めて向き合わせていただきましょう。

 

ご承知の通り、南無阿弥陀仏のお念仏はまじないの呪文でもなく、願いを叶えてもらうための言葉でもありません。

まして、死を連想する言葉でもありません。

私を心配してくださる阿弥陀様に、お浄土へ還られた方々に、感謝・御礼申しあげる言葉です。

 

今年も大きな声で感謝のお念仏を声に出して、ご一緒にお称え致しましょう。 

合掌

「目をあけて眠っている人」
私も、その一人でした

 中学校の校長を勤めさせていただいていたときでした。あちらこちらでがんばっている卒業生たちが

お正月休みに帰ってきて、学校を会場に同級会をしました。はじめに、自分は今、どんなことを考えながら、

どういうことをがんばっているかという自己紹介をしたのです。

 そのときの一人の青年のことばには、みんな感動してしまいました。その青年は申しました。

「ぼくは、中学在学中は、皆さんもご存じのとおり、勉強はできず、わからないことがあっても、

質問もできないだめな生徒でした。勉強ができないから進学はできません。

個人商店に就職したのですが、その店に、ぼくと同年の娘さんがいるのです。

その娘さんが『この靴、磨いといて』と靴磨きをいいつけます。

靴くらいは磨きますが、シャツやズロースの洗濯をさせられたときには、男に生まれて、

同年の娘さんのこんなものまで洗濯しなければならぬかと思うと、無念で、無念で、涙があふれて仕方がありませんでした。

そのとき、涙でかすんだ瞼の向こうに見えてきたのは、但馬の山奥で、貧乏な百姓をやっている両親の姿でした。

それが見えてきたとたん『これくらいのことでくじけてなるか、ズロースだろうが何だろうが洗わせてくれ、

くじけんぞ』という思いがこみあげてきて、ほほえみをとり戻すことができました。皆さん、ぼくの十年先を見ていてください」

というのです。みんなみんな、涙なしには聞くことができませんでした。

 さて、人間というものは、この青年のように、「ぼくの十年先をみていてください」

ということにならないと、光を放つことはできないのではないでしょうか。

 だめな人間というのは、素質の悪い人間ということではなく、スイッチのはいらない人間ということではないでしょうか。

私は、このように考えて、子どもたちに、いつも、次のように呼びかけてきました。

 

 心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目

見ようという心がないと

見ていても 見えない

人間の耳は 不思議な耳

聞こうという心がないと

聞いていても 聞こえない

頭だってそうだ

心が眠っていると頭の働きをしてくれない

まるで 電灯のスイッチみたいだ

仕組みはどんなに立派でも

スイッチを入れなければ

光は放てない

 

「モノ」のいのちを
いとおしむ心

 「おはよう」の挨拶がすむと、私は「痛いだろうか?」と言いながら、いきなり朝礼台の上で

私の腕を曲げてみせました。不意にそんなことをするものですから、大きい子どもたちは私の意図を読みかねて、

あっけにとられている様子でした。ところが、一年生の子どもが「痛うないです」といってくれました。

「じゃ、こっちむきに曲げたら?」といいながら、関節を逆に曲げようとしました。

「校長先生、そんなことしたら痛いです」

と言ってくれたのは、やはり一年生でした。

「そう、こんな方に曲げたら痛いね。骨がこわれてしまうね。でもね、きのうみんなが帰るのを見ていたらね、

運動場で、こうもり傘をビューンと急にふり回すもんだからね。こうもり傘が朝顔みたいに上向きに開いてしまってね、

こうもり傘の骨が痛い痛い、痛いよって泣いているのに、その泣き声の聞こえない子がいたようだぞ。

それからね、みんなが廊下を歩いているのをみるとね、上靴の踵のところを踏みつけている子がいてね、

靴が、痛い、痛いと泣いているのが聞こえないのかなと思ったんだ。

もちろん、みんなの中には、こうもり傘や靴をいじめないばかりか、持ちものをかわいがってやっている人もたくさんいるんだが、

明日は、自分の大事に大事にしている物がある人は、それを持ってきて見せてくれないかね」

と頼みました。

 そういう次第で、あくる日は、はからずも「愛物展覧会」ができてしまいました。

 おじいちゃんの硯をお父さんが使い、それをぼくがもらって使っているという硯。

お母さんの下敷きをお姉さんが使い、破れたところにセロテープをはりつけてわたしが使っているという下敷き。

お父さんの小学校のときの鉛筆削りをもらって使っているという鉛筆削り。鉛筆が短くなって使えなくなったら、

「さよなら、ありがとう」とお礼をいい、箱の中に納めてから新しい鉛筆をおろすという子どものもってきた

「さよなら、ありがとう」と書いた蓋をとってみると、綿をしいた上に、使えなくなった短い鉛筆が、きちんと並んでいました。

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