正楽寺日誌 つれづれなるままに

家に こころの灯を

2020年6月

 小学四年の女の子が、二年の女の子を屋上から突きおとして殺しました。小学一

年の男の子が、幼い女の子にいたずらしようとしたらお母さんに告げるといわれ、

女の子を井戸に突きおとして殺しました。小学六年の男の子がいつも優しくしても

らっている近所のお婆さんの店のお金を盗もうとしたのを見つけられ、お婆さんを

しめ殺してしまいました。子どもは人を殺しても罪にならないといって、お母さん

を刺した中学生が現れました。人間の心を育てられ損った子どもが、どんどんふ

えてきているようです。これは、心を育てる畑が荒れてきているということではな

いでしょうか。心を育てる畑の中で、一番大切な畑は家庭です。その家庭が、いま、

心を育てる働きを喪いつつあるということではないでしょうか。

 家庭は、みんなが疲れて帰ってくるところです。きれいごとのできるところでは

ありません。でも、疲れをわかりあい、いたわりあい、僅かな喜びもみんなでわけ

あって大きい喜びにし、明日への活力に変えていく、それが家庭というところであり、

そういう家庭のあり方の中で、子どもたちも、人間の心を育てられていくのでしょう。

 亮太君は、母一人子一人の貧しい家庭の子どもです。日が暮れてからでないと、

お母さんは仕事から帰ってきません。そのお母さんが、いつも亮太君におっしゃって

いることは、いつでもとうちゃんが亮太君を見ておられるということです。ですから、

亮太君もそれを信じる子に育てられています。

 亮太君は、いつも、疲れて帰ってくるお母さんを、戸口のところへいって待っています。

お母さんは、帰ってこられると、その亮太君の頭をなでてくださいます。

亮太君は、「とうちゃんのぶんもなでて」とねだります。お母さんは「よし、よし」

といってなでてくださいます。亮太君のさびしかった心はふっとんでいってしまい、

しあわせの思いがいっぱいになります。

 でもあるとき、亮太君は勉強のことでお母さんに口答えをしました。お母さんは、

悲しそうな顔をして黙ってしまわれました。その時のことを亮太君は「ぼくは、

かあちゃんがものをいわないので、だんだんつらくなりました。ぼくは、かあちゃん

のところへいって『かあちやん、たたいて』と頭をだしました。するとかあちゃん

は『もうええから勉強しな』といいました。『そんならとうちゃんのぶんたたいて』

といいました。そしたら『よし』といって、かあちゃんはわらいながら、ぼくの頭

を一つコツンとたたきました。ぼくはうれしくなって、また勉強をやりました。ぼ

くはかあちゃんが大すきです」と書いていました。

 貧しく、そしてさびしい亮太君の家庭ですが、亡くなられたお父さんまでちゃんと

活かされ、「心を育てる」立派な家庭になってくださっています。亮太君は、

絶対、まちがいのない人間に育ってくれるでしょう。

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