正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

一番はもちろん尊い
しかし一番より尊いビリがある

 (注=「私は、生まれつき、いわゆる腺病質体質というのであったようで、村のおばさんたちが『お寺のぼんちゃんは、お気の毒だけど、とても三十歳まではよう生きさらんだろう』と噂していたと聞いています」と述べられているように、東井先生は子どものころから、体はあまり丈夫ではなかったようです。次の文章は、一九二七年(昭2年)、兵庫県の姫路師範学校に十五歳で入学されたときの思い出です。 入学した以上は、必ず何か運動部に入らなければならないということで、いくつかの運動部の門を叩かれたそうです)

 はじめ、サッカーの入部検査を受けました。山の中の、貧しく小さな小学校で育った私には、あんなボールを蹴らせてもらうのは初めてでした。(中略)次は、野球部でした。生まれてはじめて、バットというものを握りました。なぜ、球が当たりやすいように平らにしておかないのか、こんなツルツルした丸太ン棒を、飛んでくる球に当てるなんて、まるで奇術ではないかと思いながら、バットを振りましたが、やはり、球は当たってくれませんでした。次は、庭球部でした。ラケットを握るのは初めてでしたが、これは、球が当たるようにうまくできていると、感心しながら振りましたが、見事に空振りで、はねられてしまいました。次は、水泳部でした。プールの波が光っているのを見ると、おそろしくなって、尻込みしている私を、水泳部の上級生が、無理やりプールに突き落としました。カナヅチが浮く道理がありません。溺れてしまった私を、上級生が大あわてにあわてて引き上げてくれました。次は、競走部でした。これは溺れるはずがありませんから、少し、安心しました。百メートル走らされましたが、ビリでした。「チョボイチご飯」を食べて育った栄養失調の私には、人並みに走れるだけのエネルギーもなかったのでしょう。
 「おまえ、なーんにもあかんのやな」と、上級生たちが、あきれ顔で申しました。
その私を、気の毒そうに見ていた上級生の一人が、「おまえ、辛抱強く粘ることはできるかい」と、尋ねてくれました。「はい、粘ることならできると思います」と、答えましたら、「そうか、それではマラソン部にとってやる」といってくれました。 やっと、私の落ちつくところが決まったのでした。「よし、粘り抜いてやろう!」と、一大決心をして、入部させてもらいました。
 放課後、他の部員たちと一緒に、姫路の城北練兵場をとり囲む道を一周して帰るのが、毎日の日課でした。マラソンも、ただ粘ればよいというものではなく、毎日、私が、ビリッコを独占することになりました。練兵場一周は五千メートルということでしたが、週一日は、市川の鉄橋まで往復、というのがありました。これは、一万メー トルだということでした。この一万メートルコースの途中に、キリスト教の女学校がありました。大勢の女学生たちが見ている前を、仲間から何百メートルもおくれて、犬に吠えられながら走るのは、鈍感な私にも、ほんとうに、つらいことでした。
 (中略)ビリッコを走りながら、毎日、考えたことは「兎と亀」の話でした。あの話では、亀は兎に勝ちました。けれども、兎が亀をバカにして、途中で一眠りしたりするものだから、たまたま、亀が勝ったにすぎません。いくら努力しても、亀は、どこまでいっても亀で、走力は、とても兎には及びません。ですから、あの話は、ねうちのある亀は、つまらない兎よりは、ねうちの上では上だ、という話ではないかと考えました。亀は、いくら努力しても、絶対、兎にはなれない。しかし、日本一の亀にはなれる。そして、日本一の亀は、つまらない兎よりも、ねうちが上だという話ではないかと考えました。そして、私も「日本一のビリッコ」にはなれるのではないか、と、考えるようになりました。
 「よし、日本一のビリッコになってやろう」と、考えることで、少し勇気のようなものが湧いてくるのを感じました。
 そのうちに、また、気がつきました。 「もし、ぼくがビリッコを独占しなかったら、部員の誰かが、このみじめな思いを味わわなければならない。他の部員が、このみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、ぼくが、ビリッコを独占しているおかげだ」ということに気がついたのです。「ぼくも、みんなの役に立っている」という発見は、私にとって、大きなよろこびとなりました。世の中が、にわかに、バッと明るくなった気がしました。そして「教員になったら、ビリッコの子どもの心を解ってやれる教員になろう。とび箱のとべない子、泳げない子、勉強の解らない子どもの悲しみを解ってやれる教員になろう。『できないのは、努力が足りないからだ』などと、子どもを責める教員にはなるまい」と思わずにはおれなくなりました。

白木蓮が咲いた その鮮烈な白
いよいよ汚れてしまっている私

 神戸のある学校のPTAの講演で、私が、お父さんは、子どもにお母さんの存在の輝きを、お母さんは、お父さんの輝きを子どもに届ける工夫をしていただきたいという願いを訴えたことがありました。講演会が終わって会場を出、控室に帰ろうとしたとき、追っかけて来られたお母さんがおられました。「先生は、残酷なことをおっしゃる。私の家には、子どもに届けてやるお父さんがいないのです。亡くしてしまったのです」と抗議を受けました。私は、このお母さんを悲しませたことをおわびするとともに、亮太君という男の子の作文を聞いていただき、「どうかお父さんを生かしてあげてください」と、お願いしました。
 

 小四 亮太
 ぼくのおとうさんは、ぼくの小さいときに死にました。それでも「とうちゃんは、どこかでぼくのすることを見とるんや」と、かあちゃんはいいます。
 かあちゃんは、いつも働いているので、家へ帰るのがおそくなります。とうちゃんのぶんも働くからです。
 ぼくが、夕方、戸口のところでまっていると、帰ってきて、頭をなでてくれます。 ぼくはうれしくなって「とうちゃんのぶんもなでて」といいます。すると、かあちゃんは「よし、よし」といってなでてくれます。
 この間のばん、ぼくがしゅくだいをやっていると、かあちゃんが「亮太は勉強がすきになったでええな」といいました。「ちがう、きらいや」というと、「勉強のきらいなもんはえらい人になれません」と、かあちゃんがいいました。 「へえ、そんなら、おらの組では、健ちゃんがいちばん、えらいもんになるんかよ。なら、おら、えらいもんなんか、なりたかねえ」と口答えをしました。
 健ちゃんは、勉強はできるかもしんないが、 いばるから、ぼくはきらいです。すると、かあちゃんが、ブスッとしてしまいました。
 ぼくはだまっていましたが、かあちゃんがものをいわないので、だんだん、つらくなりました。
 ぼくは、かあちゃんのところへいって「かあちゃん、たたいて」と、頭をだしました。すると、かあちゃんは「もう、ええから、勉強しな」といいました。「そんなら、とうちゃんのぶん、たたいて」といいました。そしたら「よし」といって、かあちゃんは、わらいながら、ぼくの頭を、一つ、コツンとたたきました。ぼくは、うれしくなって、また勉強をやりました。ぼくはかあちゃんが大すきです。
 亮太君の中に、お母さんは、みごとに、お父さんを生かしていらっしゃいます。

こんな私でも
ゆるされて生きる道

また また

新年を 迎えさせてもらった

しかも 妻もいっしょに

四月の誕生日がくると

私は 七十七になる

妻は 七十一になる

いよいよ 深まっていく「老」

老いても

稔りの秋の黄金の稲のように 輝いて生きている人がある

みんなを 敬仰させる

紅葉樹の紅葉のように

いよいよ 見事に 生きている人がある

私の友人の中にも そういう人がある

しかし 私のように

黄金の輝きを恵まれるだけの稔りももちあわせず

紅葉の素質ももちあわせない 老人は

何を拠りどころに

どのように 生きさせてもらえばよいのか

多くの老人たちを燃えあがらせているゲートボールさえ できない

無能 無才 無芸 無趣味の私は

どう 生きさせて もらえばいいのか

ひょっとするとこんな私どもに

こんなまばゆい新年が恵まれたということは

それを 課題に生きてみよ ということであろうか

でも これは

黄金に輝く力をもった人が黄金に輝くことよりも

紅葉する素質をもった木が紅葉することよりも

もっと むずかしい 宿題ではないのか

しかし しかし

こんな 私どもにも

どうやら

道が 用意されているようだ

こんな 私どもでも

赦されて生きる道

あんたたち 一人ひとりが
光いっぱいの人生に仕上げていく

人間は五千とおりの可能性をもって生まれてくるというのが、今日の学者の先生の定説だということです。
せっかく人間に生まれさせてもらいながら、狼にさらわれ、狼のくらしの中で狼に育てられたために、生き方のすべてが狼になってしまっていたという二人の女の子の実話を思い出します。
殺人鬼も、泥棒も、爆弾犯人も、問題少年も、みんな、誰かが、せっかくの人間の子どもを、そのような可能性の方向に突っ走らせてしまったのです。

 

お釈迦さまも、お若い頃、たくさんな可能性の中でお迷いにお悩みになりました。
けれども、遂に、この大宇宙の根源のところで、はたらきづめにはたらいている大きな願い(本願)に目覚められ、この願いに生きる以外に自分をほんとうの自分に育てる道はないことを自覚なさり、それを私たちに教えてくださったのです。

 

うっかりしていると見過ごしてしまうような小さいすみれにも、願いはかけられているのです。
「小さくてもいいのだよ、あんたしか咲かせることのできないあんたの花を、力いっぱい咲かせておくれよ」と。
花のいのちの短い桜にも「花のいのちの長い短いは問題じゃないんだ。力いっぱい咲くことこそが大事なんだ。力いっぱい咲いてさえくれれば、それでかわいいさくらんぼが誕生してくれるんだよ」と、そんな願いの声が聞こえてくるではありませんか。

すみません ありがとう
一日のはじまり

勤行に
疲れる
勤行の後
お花の水をかえるだけに
ハアハアいう
お役に立つことが
させてもらえなくなってしまった 私
毎晩 床に就くと
「せっかくいのちをいただきながら
申しわけありません」
「すみません」
「それだのに一日 ありがとうございました」
「南無阿弥陀仏」
そう申す以外ない
申しわけない
すまない
もったいない
近ごろの 私
食事さえも
わびながら いただく
申しわけない
すまない
もったいない
近ごろの私。

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