仏事の心得仏事の心得

あなたは自分と向き合えていますか?

新型コロナウイルスに係る緊急事態宣言を受け、
私たちは外出の自粛などを余儀なくされました。

緊急事態宣言は解除されましたが、新しい生活様式の実践が求められ、
治療薬も未だ開発されておらず、やはり油断出来ない状況に変わりはありません。

私たちはこの出来事を機に自身の生命と向き合うということを迫られているように思います。

 

本願寺第八代宗主蓮如上人は浄土真宗のみ教えをやさしく伝えるために
「御文章(ごぶんしょう)」というお手紙を書いて下さいました。

そのうちの一通に「疫癘(えきれい)章」があります。

この御文章が書かれたのは室町時代のことです。

当時は現代のように医療も発達していません。

今よりも頻繁に疫病の類が流行っていたのではないかと推測します。

そのような状況において、蓮如上人はこのように示されています。

 

これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず

 

生まれはじめしよりして定まれる定業なり

 

私たちはこの生命を頂いた以上、いつかは生命を終えていく身です。

疫病によってはじめて死を迎えるのではないということです。

一方で蓮如上人はこの続きに
「私たちの生命は明日がわからない生命であると頭ではわかっているけれども、疫病で死去したように思ってしまう。
これもまた仕方のないことです」と併せて仰っています。

その上で、阿弥陀様は「どのような身であっても、私をたよりにする(頼る)者は必ず救う」
仰られていると示されています。

私たちは生命のことだけでなく、日常生活の中で不安になり、苦しみ、迷うことがあります。

阿弥陀様はそのような私を「必ず救い摂るぞ」と寄り添って下さっています。

仏法を通して我が身を振り返り、しっかり自分と向かい合うからこそ、
私の生命の問題を解決して下さる阿弥陀様のお心が有り難いことなのだと気付くことが出来るのです。

蓮如上人はこの御文章の最後に、そのような阿弥陀様のお心に触れて

  
「南無阿弥陀仏と申すのはありがたさ、

 
うれしさを申す御礼のこころであります」

 
と教えて下さいました。

 

阿弥陀様のお心は物体として目の前にある訳ではありません。

ですが、私たちの心が目に見えなくても存在しているのと同じく、
そのおはたらきは間違いなく存在するのです。

そのことをお忘れなきよう、しっかりと阿弥陀様と共に歩む人生、感謝申させていただく人生を歩ませていただきましょう。

お参りは心の洗濯

「私にとってお寺へお参りすることは心の洗濯なんです。」

ある時、そのように仰ってくださったのは、いつも欠かさずにお寺の法要へお参りくださる、一人のご婦人でした。

  

新元号に変わり、早一ヶ月が過ぎました。

前元号である「平成」とは「平和に成る」と読ませていただくことが出来ました。

この日本に於いては、戦争がない、という意味ではその文字通り、平和であった時代でした。

しかしながら、その一方で、無差別殺人や親が我が子を、子が我が親を殺めるといった残忍な事件が増えたような気がします。

その背景には、「生命の尊さ、有り難さに気付かせていただく」ご縁を頂戴することが

減っているということがあるのではないかと思われます。

それはつまり、生命をぞんざいに扱ってしまう程に死に対しての自覚がない、

生命が在ることが当たり前だと思っている方が増えている、ということに他なりません。

 

何故そのようなことが起こるのでしょうか。

その原因の一つとして考えられるのは、私達の持つ「煩悩」という自己中心的な心の在り方です。

目まぐるしく物事が移り変わる現代社会では、嬉しいことも腹の立つことも、様々なことに振り回されて過ごしてしまいがちです。

そのような中で阿弥陀様の前に座らせていただき、み教えを聞かせていただく。

そのみ教えを通して自分自身の生命の在り方を見つめ直す時間を持つことが、とても大切です。

阿弥陀様は「良い・悪い」「好き・嫌い」などという私の思いを超えて、

全てのものを分け隔てなく、ありのままに受け入れてくださいます。

阿弥陀様にお参りさせていただくということは、自己中心的な私達の在り方をいつも心配し、

見守ってくださる阿弥陀様のお心に出遇うということです。

それが煩悩にくるまれた私達の心を洗濯するということだと、

住職自身も冒頭のご婦人のお言葉を味合わせていただいたことです。

それでも私達は日常生活に戻ると、また目の前のことに振り回されて日々を過ごしてしまいます。

だからこそ、何度も何度もお参りして、

生きる方向を示してくださる阿弥陀様のみ教えに触れることによって「あぁ、そうだった」と我が身を振り返り、

尊い生命に気付かせていただく時間が大切なのです。

それが阿弥陀様を拠り所に生きるということです。

皆様のご参拝を心よりお待ち致しております。

皆さん聞いたことありませんか?

「お盆になると地獄の釡の蓋があく」と云うことばを・・・。
「お盆の三日間だけ死んだ人がこの世に帰ってくる」と云う話を・・・。
きゅうりの馬となすの牛が仏壇に供えてあるのを見た事ありませんか?最近は手間をはぶいた作り物を買ってくるようです。地獄の釡のふたがあいて、三日間だけこの世に戻ってくる。こちらに帰ってくる時は足の早い馬に乗って少しでも早く帰って来てほしい。帰る時は歩みの遅い牛に乗ってゆっくり帰ってほしい。
これらの事を総合して考えてみると「亡くなった方々は地獄にいて、お盆の三日間だけ人間界に戻ってくる」つまり私達の大切な人は地獄に堕ちている事を暗に認めて?いるのではないでしょうか???
お念仏の教えに遇った方は西方極楽浄土に還られて仏様になられています。そして一年 三百六十五日私達のもとへ還ってこられていつでも何処でも何をしていても私達の事を心配し続けていて下さるのです。何故なら仏法を聴こうともせず欲望のほしいままに動いているのが私達だからです。仏様になられた御先祖は三悪道に還るしかない私達だから、私達が心配で心配でたまらないのでじっとしていられないのです。心配をかけてもかけても知らん顔している私達がここにいます。今こそ気づいて聴聞の場に座らせて頂きたいものです。

もし貴方の身近にいた方々が仏法に出遇う事なく命を終えていかれたとしたら、その方々が三悪道に堕ちているとしたら、貴方が仏となって地獄の苦しみから救うご恩返しさせて頂かなければ人の道からはずれてしまいます。仏になられた御先祖の方々の思いを、三悪道に堕ちて苦しんでいる方々を救いたいという貴方の思いをかなえる道は「たった一つ」今を生きる私達がみおしえを聴かせて頂くしかありません。

 

「お金は貯めておいていく 罪はつくってもっていく仏法聞かずに地獄行き」

そんな人にならないで下さい

浄土真宗の仏事の常識は・・・?

以前からお話ししていることと思いますが、世間一般の仏事の常識は「浄土真宗においては仏事の非常識」だと云っても過言ではありません。
それくらい浄土真宗は他の宗派と考え方に・教えに違いがあります。
ご門徒の方とお話ししていると、浄土真宗の門徒の方が何故こんな事を言うのだろうと思うことが沢山ありますので、再度書かせて頂きます。
これまで人生の中で培ってきた「仏事の常識」を一度忘れて下さい。そうしないと浄土真宗になじめません。門徒式章をかけて仏事の席に参らせて頂く資格のないお念仏を称えられない「名ばかりの門徒」になってしまいます。

 

例えば、ほんの数例をあげると

 

浄土真宗では亡くなった方のためにお経を読む事はありません。
浄土真宗では追善供養を致しません。追善供養と云う言葉もありません。
浄土真宗では法事が「命日より遅くなってはいけない」などと云いません。
浄土真宗ではお仏壇に「お茶もお水も」供えません。
浄土真宗では「お線香を立てません」「お焼香は一度だけ」
浄土真宗では「日の善し悪し・方角が良い悪い」などとは云いません。縁起が悪いなどとは絶対言いません。
浄土真宗の仏事は全て生きている貴方のためにあります。等々、数え上げたらキリがないかもしれません。故に今まで培ってきた仏事の常識を一度忘れて下さい。頭をからっぽにして下さい。そうしなければ門徒(念仏者)になれません。判らない事は放置せず住職に尋ねてください。

貴方の葬儀は家族葬を望まれていますか?Ⅱ

ある時目にした訃報に、但し書きのように添えられた言葉がありました。「故人の意志により、お香典・生花等は一切固くご辞退致します」故人は九十歳を過ぎた方でした。しかも家族葬とのこと。
故人の意志と云う言葉はとても都合の良い言葉です。死んだ人は二度と口を開くことはありません。本人の意思とまったく違った事でも全て故人の意志になってしまいます。

最近のお年寄りは、家族(我が子)に遠慮して肩身の狭い思いをしながら暮らしています。わが身を削って育てた子供にでさえ何も言えないのです。それを当然と思っている子供がいる事も事実です。何故でしょう? 「善因善果・悪因悪果」「因果応報」の言葉のとおり親にした仕打ちが、いずれわが身に返ってくることに気がつかずに・・・。

お正月の【仏事の心得】に書いたようにお寺では、皆様の葬儀への思いをお預かりするシステムを始めました。葬儀の形(知り合いには知らせて欲しい・家族葬でよい等々)や、知らせて欲しい方がいれば、その名簿等を封筒に入れて封印の後、署名捺印をしてお預け下さい。開封は、提出された方が亡くなられた後、住職が確認させて頂きます。当然書き換えも自由です。書き換えた時は以前提出されたものは、そのままお返し致します。

 

【仏事の心得】は貴方だけが読むものではありません。いつも家族全員で読んで下さい
感謝と報恩を忘れしは人にあらず

2 / 212
ページ上部へ