仏事の心得仏事の心得

いつでも・どこでも・誰にでもの阿弥陀様

「西暦」とは、キリストが生まれた年を元年とした紀年法ですが、仏教にも「仏暦」という釈尊が入滅(にゅうめつ)した年、またはその翌年を元年とする紀年法があることをご存知でしょうか。

今年は仏暦二五六八年であり、東南アジア等の仏教圏で使用されているそうです。

その他に、仏教では釈尊入滅を基点とした「三時(さんじ)思想(しそう)」という、釈尊の教えが入滅後、 どのように伝わっていくのかを定めた歴史観もあります。

それが「正法(しょうぼう)・像法(ぞうほう)・末法(まっぽう)」と呼ばれる時代区分です。

正法とは、入滅後五百年までの時代を指します。教えと修行が正しく守られ、悟りを得る人が存在した時代です。

像法とは、入滅後千年が経過した  時代のことで、教えと修行は残りますが、悟りを得る人はいない時代です。

末法とは、入滅後千五百年が経過した時代で、教えだけが残り、修行も悟りを得る人も存在しない時代、と言われております。

 

 

現代はもちろん、約八五〇年前の親鸞聖人ご在世の当時も既に末法の時代でした。

親鸞聖人は二〇年間、悟りを得ようと厳しい修行に励まれましたが、悟りに至る道を見出すことができませんでした。

それ故に、末法の時代に自らの力で悟りを得ることは難しいと感じ、すべての人を必ず救い摂るという願いを建て、はたらき続けてくださる阿弥陀様の教えこそ、末法の時代に生きる者のために説かれたものだと味わっていかれたのです。

私たちは、時代の変化に流されて右往左往しやすいものです。

その一方で、阿弥陀様は時代の変化に左右されることなく、ただひたすらに「生きとし生けるものを救い摂りたいんだ」という一つの願いだけを持ち続け、時代を超えてはたらき続けてくださっています。

そのことに親鸞聖人は心を打たれたのでしょう。

そして、「いつでも」・「どこでも」・「誰にでも」はたらき続けてくださる阿弥陀様のたった一つの願いであり、その喚(よ)び声こそが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。

普段、日常生活に忙殺され、お参りすることが二の次になりがちな方もいらっしゃるかもしれません。

そのような私たちに「お念仏申せ」と背中を押してくださるのが、先立たれた方々です。

この度のお盆法要も、大切な方々が私たちの背中を押してくださる尊いご縁です。先立たれた方々、阿弥陀様、親鸞聖人に感謝の気持ちとともにお参りさせていただきましょう。 

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