仏事の心得

仏教の本質について考える

新型コロナウイルスの終息が見えない中、この度の報恩講法要もインターネットを介してお参りいただくことになりました。

「コロナ禍に於いても、皆様に仏様の教えに出遇っていただきたい」との思いで始めたのが、この「オンライン参拝」です。

新たな試みは戸惑いの連続でしたが、「伝え方を変えるだけで、今まで届くことがなかった人に、仏様の教えを届けることができるかもしれない」と可能性を感じております。

例えば、今までは多くのご家庭が代表の方お一人でのご参拝であったのが、オンライン参拝では、離れて暮らすご家族も、それぞれの場所からお参りいただけるようになりました。

 

これまでは、多くの方が「同じ場所でお参りすることに意味がある」、そんな風に思われていたのかも知れません。

しかし、インターネットを介してお参りするからといって、お経の文言が変わる訳ではありません。

当然のことながら、一堂に会してお参りをしても、インターネットを介してお参りをしても、お聞かせいただく仏様のお心は何一つ 変わらないのです。

仏教の本質とも言える、大切なことに気付かされました。

   

仏教の真理、基本的な教えの一つに「諸行無常」があります。

全てのものは常に変化しているという意味です。

例えば、平成の約三〇年を振り返るだけでも、私達の生活は  大きく変わりました。

それを思えば、お参りする形も変化していく必要があるのかもしれません。

その一方で、どのような参拝方法になったとしても、いただく教えに変わりはありません。

だからこそ、仏教は廃れることなく、脈々と受け継がれてきたのでしょう。

仏様は「どんなあなたでも救い摂りたい」と願って下さっています。

そのお心と向き合うのに「同じ場所でお参り出来なければ意味がない」と条件をつけてしまうのは寂しいことです。

もちろん、「仲間と同じ場所に集い、お念仏の教えをいただく」ことに重きを置かれるお気持ちは尊いものです。

ですが、離れた場所でお参りしても、お念仏の教えをいただく仲間として繋がっていることは忘れないでいただきたいと思います。

  

全てのものは常に変化するという「諸行無常」の教えは、新しいことにチャレンジする大切さを教えてくれます。

新しく始めるということは、不安や恐怖・抵抗を伴います。その躊躇し葛藤する私の心の拠り所となるのが仏教です。

そのこと忘れずに、生きる 指針として大切にして、これからの激動の時代を生き抜いて参りましょう。

 

 

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