仏事の心得

お仏飯(ぶっぱん)はパンでも?

お彼岸のお参りをさせて頂いているお家があります。仏壇の中に仏飯器があるお家と無いお家があります。仏様に私達日本人の主食であるご飯をお供えして感謝する事は大切なことです。と云う事は仏飯器が無い事は考えられません!でも仏飯器があっても飾りの一部になってしまって肝心のお仏飯をお供えした様子のないお家もあります。あがっているご飯が干からびているお家、埃をかぶって薄黒くなっているお家、考えられないようなお仏飯を見かけることもあります。いかにお仏壇を大切にされていないかが窺い知れます。悲しいことです。
お仏飯は朝の炊きたてのご飯を一番最初に器に盛ってお供えします。いつ下げるかが分からないと云う質問を受けることがあります。お寺では朝のお参りの前にお供えして午前中にお下げします。お昼ご飯に温めておにぎりにして食べる事もありますし、保冷して何日分かをまとめて頂くこともあります。仏様からのお下がりを捨てるなど絶対にあってはいけません。最近は朝ご飯を炊かないお家が増えてきました。そんな時は夕飯時でも構いません。焚いたご飯のお初を供えさせて頂きましょう。パン食の時代になりつつありますが、パンをお供えすることはありません。基本はお仏飯をお供えすることによって、食の命を頂いて私が生かされている事に感謝させて頂くことが大切なのです。

 

 仏壇のお供えにお茶・お水があがっているお家が若干残っています。早く完全に無くなってくれないかと思う昨今です。お線香を立てる方も完全にいなくならないことも残念です。お茶もお水も供えません。お線香は横にねかせます。

 

門徒式章忘れていませんか?

約十年前になりますでしょうか、本堂耐震工事等で、ご寄付頂いた方々へのお扱いとして「門徒式章」を配布させて頂きました。
「門徒式章」とは、式章を身につける私は「南無阿弥陀仏のご縁を頂き、念仏者として生活をしていきます」と云う浄土真宗の門徒としての証です。お他宗にも名前は分かりませんが同じような物があり、身に付けている方を拝見することがあります。お見受けする方の人品は、さもありなんと思える方々が圧倒的に多いように思います。お他宗での扱いはよく解りませんが、当流では浄土真宗の門徒の証として式章を用います。念仏者として人生を歩んでいく人が身につけるべきものだと思います。

以前式章をお渡しした時には、お寺の法要に年回法要にお参りされる時に必ずご使用下さっていたのですが、最近はお寺の法要以外で式章をされる方が少なくなっています。のど元過ぎれば熱さ忘れるの言葉どおり、門徒式章の扱いも年数を経てくると忘れられてしまうようです。悲しいことです。いまだに式章を逆さまにかけて下さる方さえいます。何度口を酸っぱくして申しあげた事か・・・。

この度の慶讃法要にて新しい門徒式章を作製し、特別懇志のお扱い(記念品)として皆様にお渡し致します。浄土真宗の門徒としてお念仏の中に生かされていると思ってくださる方には是非お使い頂きたいと思います。門徒式章は親鸞聖人のお伝え下さったお念仏のみ教えを聴聞させて頂くことのできる方が身につけるべきものです。浄土真宗の門徒としての誇りを胸に共々にお聴聞させて頂きましょう。

「和言愛語」は大切な言葉

お彼岸中の出来事です。昨年末に発症した椎間板ヘルニアの影響で、痛みを和らげるために杖を使用しながらお参りさせて頂いていました。彼岸まいりも十一日目くらいになっていた日の朝たまたま小学校の登校時間に、あるお宅に伺うのに車を降りました。路地に入る一番近くに娘が車を停めてくれましたが、たまたま横断歩道の上に車を私が降りる間停めてしまいました。足腰の痛い親を思って一番近い所に車を停めたのだと思います。当然路地の入り口ですから娘は車をすぐに移動させたはずです。路地を奥に向かって歩いていく私の背中に「こんな所に車を停めるんじゃないよ」と云う男性の声が突き刺さりました。横断歩道で小学生の交通安全のために旌を振っていて下さる昔風に云えば緑のおばさんならぬおじさんの声でした。きつい口調からして決して笑顔で語りかけて下さっているとは思えません。怖い顔から発せられていると誰でも想像できる口調でした。言われた娘にしてみれば親の事を考えてほんの少しだけ停めた事、確かに横断歩道の上に車を停めたことはいけないことかもしれませんが、長時間停めっぱなしにしたわけではありません。すぐに移動させています。
私達の日常会話の中には相手を傷つけてしまうような言葉が含まれていることもあると思います。言葉は相手を傷つけたり・慰めたり・喜ばせたり・怒らせたりと命を持っています。

一つの言葉でケンカして 一つの言葉で仲直り
一つの言葉でほほえんで 一つの言葉で泣かされた
ひとつの言葉はそれぞれに ひとつの命を持っている。
思いやりのある言葉を使いたいと常々思っているのですが、確かに難しいですね。でも気遣い・心遣いは忘れずにいたいものです。

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