■【12年5月】「生きる喜びにめざめさせてくださるのがほとけさま」
仏さまのお慈悲には四つのおはたらきがあると聞いています。「慈」「悲」「喜」「捨」の四つです。どんな暗い思い宿業を背負って、その荷の重さに圧しつぶされそうになっている者にも、生きがいを失ってヤケになっている者にも、劣等感にとりつかれてしょげている者にも、自信を回復させ、勇気を与え、希望を育てて、生きる喜びに目覚めさせてくださるのが仏さまです。
「泣」という字は、「サンズイ」に「立」という字が添えられてあります。「涙」という字には、「サンズイ」に「戻」という字が添えられてあります。これは、私たちが深い悲しみに出会い、涙に溺れてしまいそうになっているとき、それがどんなに深い悲しみであっても、必ず「立」ち上がらせずにはおかないという、仏さまの願いを表すために「サンズイ」に「立」を添えて「泣」という字にし、「涙」におし流されてしまおうとする私たちを、必ず、引き「戻」してくださる仏さまのお心をあらわすために「サンズイ」に「戻」を添えて、「涙」という字にしてあるのだと聞いたことがあります。
『観無量寿経』の中の「諸仏如来 是法界身 入一切衆生 心想中」(諸仏如来は是れ法界の身なり。一切衆生の心想の中に入り給う)というおことばがあります。如来さまは、いつも、私たちの心や想いの中におはいりくださって、私たちをお導きくださっているのです。私たちが、悲しみの底に溺れて泣いているときには、新しい視点をお与えになって、立ち上がらせ、悲しみの涙におし流されてしまおうとしているときには、新しい生きがいをお示しくださって、引き戻してくださるのでしょう。

No.[68]


 ■【12年4月】「この「失敗」のおかげでといえるくらい 失敗から学ぼう」
近頃、青少年の非行や、非人間的なあり方、登校拒否、自殺が、急増してきていますが、こういう事実の背後に、父親が輝きを失ってきているということがあるように思われてなりません。お父さんが輝けば、子どもも必ず輝きます。
恵ちゃんは、近所の人たちも、みんな感心するほどのよい子でしたが、大学の入試に失敗してしまいました。みんなから「よい子」「よい子」といわれてきただけにショックが大きく、食べものものどを通らず、やはり、自殺まで考えたといいます。
こうなると、どうしても、お父さんの出番です。
「恵、おいで」
お父さんにそういわれて、恵ちゃんは、お父さんの前に正座しました。
しかし、顔を上げることもできません。
そんな恵ちゃんに対するお父さんの第一声は、力強い、
「恵、おめでとう!」
のことばでした。あまりにも思いがけないことばに、恵ちゃんが、思わず顔を上げたとき、「恵、おめでとう。いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、尊い勉強をさせていただいたね。お父さんはね、失敗したとき、これはきっと、仏さまが、お父さんの一番の問題点を、涙ながらに教えてくださっているのだと信じて、失敗を大切にしてきた。そして、この失敗のおかげで、といえるようになるまで、がんばってきた。恵、いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、この度の失敗、どうか、一生涯、大切にするんだよ。それといっしょに・・・」と、お父さんは、姿勢を改められました。
お父さんが、いちばん大切なことを話されるときの、いつものくせです。恵ちゃんも、思わず姿勢を正しました。そのとき、お父さんはこういいました。
「それといっしょに、自分が得意の絶頂に立ったとき、どこかに泣いている人があるということの考えられる人間になっておくれ」
このことばが、恵ちゃんには、仏さまじきじきのおことばのように思われたといいます。すばらしいお父さんをもった感激で、失敗のショックなんか、ふっとんでしまったことおはいうまでもありません。
日頃、お母さんが、心からお父さんを尊敬されているわけが、恵ちゃんには、はっきりわかってきたといいます。

No.[67]


 ■【12年3月】「目をあけて眠っている人」私も、その一人でした」
中学校の校長を勤めさせていただいていたときでした。あちらこちらでがんばっている卒業生たちがお正月休みに帰ってきて、学校を会場に同級会をしました。はじめに、自分は今、どんなことを考えながら、どういうことをがんばっているかという自己紹介をしたのです。
そのときの一人の青年のことばには、みんな感動していました。その青年は申しました。「ぼくは、中学在学中は、皆さんもよくご存じのとおり、勉強はできず、わからないことがあっても、質問もできないだめな生徒でした。勉強ができないから進学はできません。個人商店に就職したのですが、その店に、ぼくと同年の娘さんがいるのです。その娘さんが『この靴、磨いといて』と靴磨きをいいつけます。靴くらいは磨きますが、シャツやズロースの洗濯をさせられたときには、男に生まれて、同年の娘さんのこんなものまで洗濯しなければならぬかと思うと、無念で、涙があふれて仕方がありませんでした。そのとき、涙でかすんだ瞼の向こうに見えてきたのは、但馬の山奥で、貧乏な百姓をやっている両親の姿でした。それが見えてきたとたん『これくらいのことでくじけてなるか、ズロースだろうが何だろうが洗わせてくれ、くじけんぞ』という思いがこみあげてきて、ほほえみをとり戻すことができました。皆さん、ぼくの十年先を見ていてください」
というのです。みんなみんな、涙なしには聞くことができませんでした。
さて、人間というものは、この青年のように、「ぼくの十年先を見ていてください」ということにならないと、光を放つことはできないのではないでしょうか。だめな人間というのは、素質の悪い人間ということではなくて、スイッチのはいらない人間ということではないでしょうか。私は、このように考えて、子どもたちに、いつも、次のように呼びかけてきました。

心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目 見ようという心がないと 見ていても 見えない
人間の耳は 不思議な耳 聞こうという心がないと 聞いていても 聞こえない
頭だってそうだ 心が眠っていると頭の働きをしてくれない
まるで 電灯のスイッチみたいだ
仕組みはどんなに立派でも スイッチを入れなければ 光は放てない
「目をあけて眠っている人」私も、その一人でした。

No.[66]


 ■【12年2月】「願われていた私 赦してもらって生きていた私」
(※北村君という男の子が、授業中に「喉の奥にベロンとぶらさがっているものは、どんなはたらきをしているのですか」と東井先生に質問をしました。東井先生はすぐに答えることができずに、学校がおわったあと、図書館に行って、夜おそくまで調べて、やっとわかったそうです)

借りて帰った参考書によると、喉の奥のところで、鼻から吸った空気が肺に入っていく気管の道と、口から入った食物が胃袋に進む食道の道とがわかれているというのです。そのわかれ道で、食べものが道をまちがえて気管の方へ進むことにでもなると、窒息してしまうことになります。そういうことにならないように、私どもが子どもの頃からノドチンコといってきたもの−本当の名前は「口蓋垂」というのだそうですが−食べた物をのみ込むとき、気管の入口を蓋してくれるとありました。
このことがわかったとき、私は、ほんとうに大きなショックを受けました。そのことを知らないくらいですから、お礼をいったことはもちろんありません。「ご苦労だな」と思ったことさえありません。それどころか、「俺が生きていてやるのだ」とでもいうように威張り散らして生きてきたのです。そんな私のために、生まれて乳をのみはじめたときから、はたらきづめにはたらいていてくれたのです。

そして、気がついてみたら、ノドチンコだけではないのです。「目」があって、どんな仕組みになっているのか、何でも見せてくださるのです。「耳」があって、どういう仕組みになっているのか、何でも、聞かせてくださっているのです。鼻に鼻があいていて、呼吸がはたらきづめにはたらいていてくださっているのです。この呼吸がとまったら、忽ちのうちに死んでしまわなければならない呼吸です。いのちにかかわる呼吸です。そのいのちにかかわる呼吸を、その主人公である私は、忘れっ放しなのです。その忘れっ放しの私のために、夜も昼も、土曜も、日曜も、盆も正月も、一瞬の休暇もとらず、はたらきづめにはたらいていてくれるのです。
「口」があり、「口」には「歯」があり、「舌」があり、食べものを噛みこなすはたらきをしていてくれるのです。食べ物が「胃」に入り「腸」に進み、血にし、肉にし、骨にし、はたらきのエネルギーに変わっていくのです。胸の中では、「心臓」が、これも年中無休ではたらいてくれているのです。「生きている」つもりでいたら、何もかも「生きさせてもらっていた」のです。仏さまは、私の中で、私といっしょに、私のために、忘れっ放し、逆きっ放しの私のために、生きてはたらいていてくださっていたのです。

「北村君ありがとう」「北村君ありがとう」私は、そうつぶやかずにはおれませんでした。私は、こうして、北村君のおかげで、
「生かされていた私」
「願われていた私」
「祈られていた私」
「赦してもらって生きていた私」
に、目覚めさせていただいたのです。

No.[65]


 ■【12年1月】「一度きりの尊い道を 今、歩いている」
私は、貧乏育ちのせいか、子どもの頃から、相当へそまがりであったらしく、十二、三歳の元旦の日記に、「みんな<おめでとう><おめでとう>といっているが、何がめでたいのか、山も川も田も、そして自分も、昨日のままではないか、何がめでたいのか」と書いてあるのです。それを、父が見つけて「おまえはおもしろいことを考える子だ」といってくれたのが、いまだに、新年を迎える度に思い出されるのです。私が思い出すというよりは、父が私に「お前のこの問い、大切にしろよ」と、思い出させてくれている気がするのです。
逆転をくり返してきた私が、大悲に目覚め、念仏申す身に育てていただき、「迷いの旅」を「浄土の旅」に転じていただくことができて、はじめて、ほんとうに「めでたい」といえるわけです。

父は、私に、このことを確認させようとして、新年を迎える度毎に、子どもの頃の問いを、思い出させてくれるのだと思います。
「二度と いただけない ただ一度の自分の一生を 自分で 汚したり 傷つけたり 粗末にするような バカにだけは ならないでおくれ 一度きりの尊い道を 今、歩いている」

No.[64]


 ■【11年12月】「願い」の中に生かされている私に 気付かせていただくしあわせ
毛虫と、少しも変わるところのない私、しかし、愚かであるとはいえ、人間に生まれさせていただいたお陰で、「願い」の中に生かされている私に気付かせてもらえるしあわせを考えたとき、お念仏がとび出してくださった。

おかげも「願い」も忘れて
自転車のペダルを踏み急いでいる私
毛虫とちっとも変わりない境界で
毛虫とちっとも変わりない生き方をしている私
そのくせ 毛虫の愚かさをあざ笑っている
思いあがった驕慢の私
その私を自転車ぐるみ
思いあがりぐるみ
ささえてくれているもの
本願
南無阿弥陀仏

No.[63]


 ■【11年11月】「ほんものとにせものは 見えないところのあり方で決まる」
私は、Y小学校の責任をお預かりした八年間、毎晩、寝る前に学校に出かけていって、校舎に異常はないか、見回りをつづけました。「学校無人化」ということで宿直が廃止され、警備員もおかれておらず、何よりも火事が心配だったからです。
その見回りの度毎に、竹箒の部屋を電池で照らしてみることにしていたのですが、よく倒れて仕方なかった竹箒が、きちんとなりはじめました。誰が整頓してくれているのかわかりません。整頓してくれる人を見つけようと思って放課後いつも注意を払ってみるのですが、どうもわかりません。

整頓が百三十日ほどつづいた翌朝、朝礼台の上に、私は大きな温度計を持って上がって申しました。「今、何度くらいだろうか?」子どもたちの予想は、大体あたっていました。「みんなの予想はだいたいあたっている。今は寒いから、温度計の赤い棒が低いんだね。でもね、みんなの中に、この赤い棒が、温度計のてっぺんまで届くほど、心のあたたかい子がいるらしいんだ。ちょうど昨晩で百三十日くらいになるんだが、竹箒部屋のあのたくさんな竹箒が、いつもキチンと行儀よく並んでいる。あのたくさんな竹箒を、一本一本かわいがってくれている心のあたたかい子がみんなの中にいるらしいんだ。誰が箒をかわいがってやっているのか、手を挙げてみてくれないか?」というのですが、挙手をする子が一人もいません。
「おかしいな、誰かがやっていてくれているのにちがいないが・・・」と思いながら、「子どもが教室にはいってから調べてみてください」
と、担任の先生方にお願いしました。
すると、四年生のM君という男の子がやっているんだとわかりました。わたしが、いつか朝礼のとき、「ほんものとにせものは、見えないところのあり方で決まる。それだのに、にせものに限って、見えるところばかりを気にし、飾り、ますますほんとうのにせものになっていく」というような話をしたらしいのです。そのとき、四年生のM君が「よし、誰にも見つからないように箒の整頓をしよう」と心に決め、それを実行していたのでした。わたしが手を挙げなさいといったとき、手が挙がりそうになったのだそうですが、挙げてしまうと自分がやっていることが、みんなにわかってしまいます。それで、とうとう手を挙げなかった、ということもわかりました。

No.[62]


 ■【11年10月】「数えきれないほどのお米の一粒一粒が いまこの茶碗の中に 私のために」
数えきれないお米の一粒々々が
一粒々々のかけがえのないいのちをひっさげて
いま この茶碗の中に
わたしのために
怠けているわたしの胃袋に目を覚まさせるために山椒が
山椒のいのちをひっさげて
わたしのために
梅干もその横に
わたしのために・・・
白菜の漬物が
白菜のいのちをひっさげ
万点の味をもって
わたしのために・・・。
もったいなすぎる
もったいなすぎる
せて わたしも
白菜の漬物のひときれにでもなって
ひとの心に
よろこびの灯をともしたい
思いあがるなと
叱られてしまいそうな気もするが・・・。

No.[61]


 ■【11年9月】「見えないところでひとつながりに つながりあっている いのち」
私ははじめて授けていただいた子どもが、大病にかかりました。お医者さまから、「お気の毒ですが、赤ん坊のこの病気は、百人中九十九人は助からぬといわれているものです。今夜一晩のいのちを、私には保証することができません」
といわれてしまいました。
その晩、幼い子どもの脈を握っていると、脈がだんだん消えてわからなくなっていきます。いよいよ、親と子の別れのときがきたかと思っていると、ピクピクッと、かすかに、脈が甦ってきます。「やれ、嬉しや」と、思う間もなく、脈が消えていきます。いよいよ別れのときがきたかと思っていると、また、ピクピクッと、かすかに、脈が動いてくれます。
そういうことを、何べんも繰り返しているとき、夜半十二時をしらせる柱時計の音を聞いた、あの感動は、何年たっても、忘れるものではありません。
「ああ、とうとう、きょう一日、親と子がそろって、一緒に、一日を過ごさせていただくことができた。いまから始まる新しいきょうも、親と子が、揃って、一緒に、生きさせていただけるのであろうか」
と、思わずには、おれませんでした。そして、学校で担任させてもらっている六十人の子どもは、ただの六十人ではないということ、百二十人の親ごさんたちのいのちと、熱い願いにつながっている六十人であることが、ただごとでないことに思われてくるのでした。

見えないところで
ひとつながりに
つながりあって生きているのは
竹薮の竹だけではない
土手のすぎなだけではない

ということに、目覚めさせていただきました。

No.[60]


 ■【11年8月】「失敗・しくじり・つらさを 大切にする人生を」
私が尊敬するMさんという方に、恵ちゃんという娘さんがおられます。その恵ちゃんが、大学の入試でしくじってしまったのです。いままでいい子だ、いいお嬢さんだといわれてきただけにショックは大きく、食事も喉を通らないありさまでした。こうなると、お母さんもどうにも励ましようがありません。
「ちょっとおいで」
恵ちゃんを呼ばれたのはお父さんのMさんでした。恵ちゃんは、お父さんの前に正座しましたが顔もあげられません。そういう恵ちゃんに、お父さんがまずおっしゃったことばは、
「恵ちゃん、おめでとう」
でした。あまりに思いがけないことばに、恵ちゃんが思わず顔をあげたとき、
「恵ちゃんおめでとう。いくらお金を出しても、いくら望んでもいただくことのできないいい勉強をさせていただいたね。お父さんはね、失敗したとき、思いがけないつらいことにであったとき、これはきっと、仏さまが、お父さんにとっていちばん大切なこと、お父さんのいちばんの問題点を教えてくださっているのにちがいないと考え、失敗・しくじり・つらさを大切にすることを考えてきた。どうか、恵ちゃん、いくらお金を出しても、望んでも、得られないいいお勉強、どうか、一生涯、大切にしておくれ」
「それといっしょに・・・」と、お父さんはいずまいを改めました。これは。お父さんが、大切なことを話されるときのくせです。恵ちゃんも思わず姿勢を正しました。
「それといっしょに、自分が得意の絶頂にあるときも、どこかに、泣いている人があるということが、いつでも考えられる人になっておくれ」
恵ちゃんは、すばらしいお父さんをもったしあわせの思いと、感動で、失敗のショックなんか、ふっとんでしまいました。そして、これは、仏さまが、お父さんを通じて、人生のあり方を教えてくださっているのにちがいないと思われてきたといいます。

No.[50]


 ■【11年7月】「いそぎ参りたき心のなき私こそ ご本願のお目あてであった」
峠道でした。燃えるような美しい紅葉に見とれて突っ立っていました。ときどき、それが散っていくのですが、それがまた、おがみたくなるような、美しい尊い舞いなのです。
ところが、ふと気がついてみると、すぐ近くに、まだ小さい木なのですが、紅葉できないで、梢に、くすんだ色の枯れ葉が、しがみついているのがあります。力つきて梢から離れたのか、根元には、同じ色の葉が散っています。

それを見ていると、かつての日の私を思い出しました。ご本願が、ほんとうに届いてくださるなら、「死にともない心」など、おのずから、超えられるはずだという思いから、「死にともない心」と対決して苦しんだ日々のことでした。努めても、努めても、というよりは、努めれば努めるほど、強くなってくる「死にともない心」の根の深さに、とうとう力尽きて、深夜尊前に額ずいて、頭が上がらぬ私でした。

その私に、はっきり、聞こえてきてくださったのは、『歎異抄』第九章のおことばでした。「いそぎ参りたき心なき者」「私」こそ、ご本願のお目あてであったという、あの驚きと、感動、それを思い出していると、枯れ葉の美しい舞いが、紅葉できるできないにかかわりなく、また、「いそぎ参りたき心」など、あるないにかかわりない広大なご本願を、お讃えする舞いのように思われてくるのでした。

No.[49]


 ■【11年6月】「傲慢さと愚かさから 逃れられない私」
毎日の勤行は、親鸞聖人お作の『正信偈』と、六首の和讃を読み、その後で、蓮如上人の『御文章』を読むことになっていました。『御文章』を読んでいましても、いたるところで、反発ばかり感じていました。例えば『御文章』の五帖目に、「それ、五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に・・・」ということばで始まる文章があるわけですが、「五劫思惟」ということばに、反発を感じてしまいます。

「一劫」というのは、四十里立方の城に充たした芥子粒を、三年に一粒ずつとり出して、全部なくなってしまう時間の長さを表すことばだそうです。また、四十里立方の大きな石の上に、三年に一度ずつ天人が降りてきて、その軽い羽衣で石をなでると、石が、目に見えないくらいすりへります。そして、その石がすりへり、摩滅してなくなってしまうまでの長い時間を「一劫」というのだそうです。その「一劫」の五倍の長さを「五劫」というわけです。

阿弥陀様の前身であられる「法蔵菩薩様」は、私を救うために、どうにも救う手だてを見つけることがおできにならず、「五劫」という長い間、ご思案なさった、というのですが、私にしてみれば、「そんなデタラメがあってたまるか、どこにそんな証拠があるか」と、思わないわけにはいきません。「そんな、おとぎ話のようなことを、誰が信じてやるものか」と、考えてしまうわけです。そんな思いを、当時、私は日記に、「五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも・・・しみじみと、偽坊主の罪深し」と書いています。

もう、三十年あまりも昔のことになりますが、若い共産党員の方々と、「宗教」について語り合ったことがあります。そのときも、若い皆さんから、
「『五劫思惟』などと、証拠もないことを、ありがたそうにいうから、反発を感じてしまうのだ」
と、強い主張がありました。そのときにも申し上げたのですが、
「私自身も、長い間、皆さんと全くおなじ思いで反発していました。ところが、その『五劫思惟』の証拠があったのです。しかも、思ってもみなかった近いところにあったのです。近すぎてみえなかったのです。ごまかしようのない、はっきりした証拠があったのです。『私自身』が、その証拠人だったのです。私は、私自身のなまぬるいだらしない生きざまを、何とかすることができなければ、教員として、学校の子どもたちに、『もっと、自分のただ一度の人生を大切にしろ』などと、えらそうにいう資格はない、ということに気づき、自分を改造するために、ずいぶん努力しました。ところが、だらしのない、整頓のできないくせひとつ、自分で改造することができないのです。何べん一大決心を取り組んでみても、自分で自分をどうすることもできないのです。そういう、どうにもならないしぶとさをもった『自分』というものが、見えはじめたところから、阿弥陀様の前身でおありになる法蔵菩薩様の『五劫思惟』の証拠人が、このどうしようもない『私自身』であったことが、見えはじめたということなのです」
と、申し上げたことでした。
水を汲み上げることのできない竹籠で、何年も、何年も、水を汲み上げようとして、あせっていた、愚かな私であったのです。結局、わがはからいを頼みにする「傲慢さ」と「愚かさ」から逃れられない私であるということでしょう。

No.[48]


 ■【11年5月】「すばらしい自然のいとなみ その中で生きていることの ただごとのなさ」
私は、日本一の貧乏寺に生まれました。それはそれはひどい貧しさで、食べるものなんかも、今の時代からみると、想像もつかないものでした。秋から冬にかけては「ちょぼいちごはん」という、大根を米粒ぐらいの大きさに切って米のとき汁でたき、少量の米に塩をふりかけていたもので、見たところは白いごはんなのですが、大部分は大根です。夜、炊いたときには、ムッとへんなにおいがして、なかなかのどを越しませんし、朝になると、それが氷って、ガリガリ、音をたてる、といったものでした。
その上、親るいの借金のうけはんの責任をつかれて、家財道具のさしおさえの通知をもらったのが、小学五年生のときでした。
貧乏の上に病人のたえ間がなく、八歳で母が死んだのをはじめに、二十八歳で父が亡くなりますまでの二十年間に、六つの葬式をだすという有様でした。
でも、そういうことが、けっきょく、私の人生のきびしさを教えてくれることになり、「よし、やるぞ!」という土性骨を育ててくれたことを思うと、すべてに恵まれている今の子どもたちよりも、私の方がしあわせであったという気がします。
その上、おもちゃも、ラジオも、テレビも、そういうものを全然もたない私でしたが、私には、豊かな、美しい、そして限りなく広大な、自然がありました。
あれは五年生くらいのときだったのでしょうか。学校の帰り、空の天じょうについて友だちと議論しながら帰ったことが、今はっきりと思い出せます。秋だったのでしょうか、とても空が澄んでいました。それを見あげながら、
「空のてんじょうは、どこにあるんだろう?」
「天じょうなんてあるかい、どこまでいっても、どこまでいっても空なんだ」
「でも、その空を、ぐんぐんのぼっていったら、きっと、もうこれ以上の上はないという空のてんじょうがある気がするんだ」
「そんな、てんじょうなんてないのが空なんだ。いってもいっても空なんだ」
「そこを、もっともっと行くんだ。そしたら、もうこれ以上はないという空のてんじょうが、きっとある気がするよ」
「いや、そんなものはない、いってもいっても空なんだ」
「それを、もっともっと行ったら、きっと空の空のてんじょうが・・・」
「それがないんだ、それが『無限』っていうことなんだ」
「おかしいな」
「ふしぎだなあ・・・」
二人で立ちどまって仰いだ空の青さが私には、今も鮮やかに思い出せます。
今の子どもたちは、どうもアメリカ文明というか、東京文明というか、地上の文明に目をくらまされて、私たちを育ててくれたあのすばらしい自然を見失っているのではないでしょうか。
こんな思い出もあります。朝顔の一度咲いてしまった花びらを、キリリとねじって、にせもののつぼみをつくった思い出です。ちょっと見ても、にせものだとわかるのもありましたが、中には、ほんとうのつぼみのように見えるのもできました。それが、ひとつくらい、ほんもののつぼみとまちがえられて、もういっぺん咲くかもしれないと、考えると、あくる朝が、楽しみでしようがありませんでした。
あくる朝、夜が明けるか明けないかというときに、とびだして、にせのつぼみが、ほんものとまちがえて、もう一度咲いていないかと、見にいったものです。ところが、ひとつのまちがいもなく、ごまかしもなく、にせのつぼみは、そのあわれなしおれた姿を、下におとしているか、かろうじて、萼にくっつけているか、という有様です。
「花は、やっぱり、知っているんだ!」
「花は、やっぱり、知っているんだ!」
そんなことをつぶやきながら、朝顔のそばで、考えこんでしまった私でした。
私は、このようにして、すばらしい自然のいとなみ、その中で、生きているということが、どんなにすばらしいことなのか、ということを「自然」によって教えられてきましたし、生きているということの、ただごとのなさを知らされてきました。

No.[47]


 ■■【11年4月】「大きい願いに目覚める以外に ほんとうの自分に育てる道はない」
お釈迦さまがご生誕なさった四月。花まつりの四月。木や草がじっとしてはいられないというように芽をふく四月。何ものにもかえられない大事なお子さまが入園なさり、新しい出発をなさる四月。生きとし生きるものがいいのちの不思議を輝かせる四月。生命の大合唱のひびきわたる四月。
私の勤めさせていただいた学校のそばに天に聳える欅の森がありました。その古い欅の大木が芽をふく四月の感動を私は忘れることができません。私はそれを仰ぎながら、年をとるにつれて感動を喪いがちな私ではあるが、新しく入学してくれた子ども、新学年をスタートする子どもたちに、生きるということのただごとではないことに目を覚まさせ、伸びずにはおれない芽を育てるためには、私自身が、あの欅のように若木よりももっと美しい、もっと新鮮な芽をふかなければならないのだと、自分に言い聞かせたことでした。
人間は五千とおりの可能性をもって生まれてくるというのが、今日の学者の先生の定説だということです。せっかく人間に生まれさせてもらいながら、狼にさらわれ、狼のくらしの中で狼に育てられたため、生き方すべてが狼になってしまったという二人の女の子の実話を思い出します。殺人鬼も、泥棒も、爆弾犯人も、問題少年も、みんな、誰かが、せっかくの人間の子どもを、そのような可能性の方向に突っ走らせてしまったのです。
お釈迦さまも、お若い頃、たくさんな可能性の中でお迷いになり、お悩みになりました。けれども、遂に、この大宇宙の根源のところで、はたらきづめにはたらいている大きな願い(本願)に目覚められ、この願いに生きる以外に自分をほんとうの自分に育てる道はないことを自覚なさり、それを私たちに教えてくださったのです。

No.[46]


 ■【11年3月】「きばり心」を抜いたとたん あんな快い 安らぎの世界に変わる
私が、若い頃読みふけった懐かしい書物の中の一冊に、出隆先生の『哲学以前』があります。出隆先生は、哲学者であられるとともに、「神伝流」の水泳の達人でもあられたと聞いています。
その出隆先生が、何かに「水泳」のことをお書きになっていました。「水は、人間を浮かせるだけの浮力をもっている。しかるに、人間が溺れるというのは、心の重みで溺れるのである。だから、溺れた人というのは、『こんな所で・・・』と思われるほど、浅い所で溺れている。結局、水の浮力に足をとられてあわててしまい、その心の重みで溺れたのである。心を無にして、身も心も水に預ければ、自分の力を使わなくてもおのずから浮かぶ」というような内容の文章でした。
出隆先生の、「心を無にして、身も心も水の浮力に預ければ、おのずから浮かぶ」というお言葉は、親鸞聖人が「如来の本願力に乗托すれば、おのずから然からしむる自然法爾の世界を恵まれる」とお教えくださっていることにも通じているように思います。またそれは、私が子どもの日、あの熱くて熱くてたまらなかったお灸の熱さが、「きばり心」を抜いたとたん、あんな快い安らぎの世界に変わったことにも、つながっている気がするんです。
私は、初め、お灸の熱さに負けまいとする「きばり心」の重みで、熱さの底に沈み、熱さの苦しみに溺れていたのです。それが「きばり心」を捨てたとたん、熱さが苦にならない世界に浮かせてもらったのです。
どなたのお作が存じませんが、「散るときが浮かぶときなり蓮の花」という句が思い出されます。「自分が・・・」という「我」が散ったとき、ポッカリ、安らぎの世界に浮かばせてもらうのです。水に「浮力」があるように、私に注がれている「本願力」が、沈むしかない私を、浮かせてくださるのです。

散歩中、村の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と挨拶しましたら、「はい、飼料は高いし、牛の値は安いし、土曜・日曜どころか、盆も正月もありません。よい事は何もありません」と、嘆きの言葉が返って来ました。
そのことを思い出しながら、また別の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と申しましたら、「はい、おかげさんで、きょうも、牛どんに養うてもろとりますわい」という言葉が返ってきました。その方が、後光を放っておられるようでした。同じ牛飼いさんでも、生きておられる世界は同じではないと、教えられました。

No.[45]


No. Pass