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〜門信徒の方々に送付している「仏事の心得」を掲載致します〜 |
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以前「念仏の声を世界に子や孫に」という本願寺のスローガンがありました。
正楽寺の二十一世紀の標語は「合わす手に念仏の声高らかと」です。
日本では聞こえにくくなっているお念仏の声が、異国の地で高らかに響き渡る様子を見ると何とも言えない感があります。ご本山の大きな法要でも同じです。以前と比べると「お念仏の声」の大きさが全然違います。悲しいかな響き渡りません。
阿弥陀如来は光明無量・寿命無量つまり「光に限りのない仏様・命に限りのない仏様」と表現されます。そして、もう一つは、声の仏様と云って良いと思います。
声の仏様だから、声に御利益が有るなんてくれぐれも思わないで下さいね。
私の口からこぼれる念仏の声は「仏様の名のり」と言われます。
悲しいかな私達は煩悩にスッポリ包まれてしまっていますから
仏様の声を、お聞きする事ができません。故に、いつも私はここにいるよ・貴方のそばに必ずいるよと私の声を使って私に教えて下さっているのです。
我称え 我聞くなれど これやこれ 連れてゆくぞの 親のよび声
み仏を よぶわが声は み仏の われをよびます み声なりけり
この二つのうたに表現されているとおり私の声を使って私に呼びかけていて下さる仏様が阿弥陀如来様なのです。声の出る身体を頂いていながら声に出ない方が多すぎます。私は浄土真宗の門徒ですと答えて下さるほとんどの方の口からお念仏が聞こえてきません。名ばかりの門徒があふれかえっています。
だからと云って声の出ない方は救わないと云うのではありません。
そのまま救って下さる仏様です。 平成二十年七月お盆法要