正楽寺日誌 つれづれなるままに 正楽寺日誌 つれづれなるままに

見えないところで
ささえてくださる願いがある

こぶし・木蓮・椿・梨・桜・しゃくやく・すみれ・・・・・・花、花、花の四月です。何百年の間、風雪に耐えて生きぬいてき欅の老木が、さわれば色でもつきそうな若緑の芽をふいてくれるのもこの四月。虫・魚・鳥・・・・・・そして人間。入園・入学・進学・新就職の子どもや若者のいのちが最高に輝くのもこの四月です。まさに、いのちらんまんの月といえましょう。  でも、私たちは、このらんまんさにだけ、目を奪われていていいのでしょうか。ある五歳児のつぶやきを、保母先生が感動をもって記録してくださったものを思いだします。  ぼくの舌動け  というたときは  もう動いた後や  ぼくより先に  ぼくの舌動かすのは何や?というのです。  地上に見えているところだけが、樹であるのではないのです。見えないところで、見えるところささえ、あらしめているはたらきや願いがあり、その願いの中に、私も、いまここに、生かされてあるのです。  そして、この大いなる願いに、私たちを目覚めしめるために、この世にお出ましになったお釈迦さまが、ご誕生くださったのも、この四月だということが、何ともありがたいではありませんか。

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